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「100分de名著」で学ぶ孔子「論語」2回目その1

※NHKオンデマンド、U-NEXTなどの動画サイトで、ご覧いただけるNHK番組「100分de名著」を元に、学んだり、感じたりしたポイントをお伝えしています。
出演者:
司会 --- 堀尾正明さん
アシスタント --- 瀧口友理奈さん
講師 --- 佐久協(さくやすし)さん

1.若い人たちに教えを説いた孔子

大震災の直後、おびただしい数の噂がチェーンメールとなって飛び交いました。
今回のテーマは、

「自分のアタマで考えよう」

論語から自ら考え、行動する指針を学びます。

晩年私塾を開いた孔子は、学問を通してどんな人間を育てようとしたのでしょうか?

孔子はどのようにして弟子たちに自分のアタマで考えることを教えたのでしょうか?

論語に生きるヒントを学びます。

前回は、人生に大切なことは、恕(思いやり)であるということを学びました。

今回のテーマは、「自分のアタマで考えよう」です。
孔子は私塾を開いて、3000人教えたとも言われています。
(※ 3という数字は昔、「たくさん」という意味で使われていたので、3000という数字は水増しされた数字かもしれません。)

番組では、足利学校にある、「孔子と10人の高弟」の絵が紹介されています。
解説者の方はこの絵を指して、「孔門十哲」という言葉があり、これにちなんで、夏目漱石と門下生のことを指す「漱門十哲」という言葉があることをお話されています。

孔子が私塾を本格的に開いたのは60代後半から亡くなる74歳ころまでです。
孔子が最晩年に自分の夢を託そうとして作ったのが孔子塾です。
ですから、生徒たちも子供や孫ぐらいの年齢の人等を教えていたことになります。
子供や孫ぐらいの子たちを教えていたので、噛んで含めるように教えていたのかもしれない、
高齢ということで、教え方が柔らかかったのが良かったのではないかと、講師の方はお話されています。

今回のテーマである「自分のアタマで考える」。
それは、孔子の10人の弟子たちのように、選ばれた人たちにしかできないことなのでしょうか?
いえ、それは、孔子の弟子たちでなくても、できることなのです。

束脩(そくしゅう)を行うより以上は、吾未(いま)だ嘗(かつ)て誨(おし)うること無くんばあらず。

束脩(そくしゅう)とは、干し肉の束のことです。孔子の、言葉にもある通り、軽い手土産さえ持ってくれば、孔子は誰でも弟子にしたのです。

孔子は、学問の熱意と礼節を持った者には、誰でも分け隔てなく教えたのでした。

そのために生徒は3000人にも上りました。
しかも孔子は若くて就職口を探している弟子たちの悩みに正面から向き合いました。
論語には、就職のアドバイスをした孔子の言葉も収められています。
そして、弟子たちは町の長官や国王の側近となっていったのです。
孔子の私塾は学びの場であると同時に古代のハローワークであったのかもしれません。

孔子が職を求めていた若者に教えていたのは意外なことですね。

2.孔子が育てようとした人物像

それでは、孔子は、どんな人間に育てたいと思っていたのでしょうか?

知識の高い人でしょうか?
それとも
思いやりのある心優しい人でしょうか?

孔子は、以下のような言葉を残しています。

衆(しゅう)これを悪(にく)むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す。

この言葉の意味は、以下の通りです。

世間一般の人が、ある特定の人を悪く言ったとしても、鵜呑みにしてはいけない。
必ず自分で調べ、自分で判断しなければいけない。
また、もし世間一般の人が、ある特定の人を良く言ったとしても、鵜呑みにしてはいけない。
必ず自分で判断しなければいけない。

孔子が残した言葉からも分かるように、孔子が育てたいと思っていたのは、「自分で考え、自分で判断できる人間」です。

福澤諭吉は、明治時代に独立自尊の考え方を広めました。
それは、一人の人間が立派になり、そのような人が増えていけば、社会が良くなり、国が良くなる、という考え方です。

孔子もこれと同じようなことを言っています。
孔子も独立独歩(自分で物事を判断できる)の人間が育っていけば、家庭も良くなり、国も良くなり、さらに言えば世界も良くなると考えました。
このように、孔子には、独立独歩の考え方が基本にあったと言えます。

それでは、孔子は、若い人たちにどのような教え方をしたのでしょうか?

次回に引き続き、探っていきます。

3.これまでの感想

孔子は若い人の育成に熱心だったことを知り、孔子に対するイメージが変わりました。

また孔子の言葉には、明言を避けるような言い方が見られますが、それも若い人に自分で考えるように促すための方法であることが分かりました。

孔子の教えが古くからあった日本ですが、(ほぼ)単一民族の国で島国であるためか、一つの考え方に人が流れがちで、独立自尊の教えが「思いやり」の言葉より、浸透していないように思いました。

詳しくは分からないのですが、日本の歴史の中で、儒教が国を統率するために利用されたこととも関係があるのかもしれないと思いました。

孔子は、自分のアタマで考えられる立派な人が世の中に増えていけば、世の中がさらに良くなるという考えを広めてきました。
しかし、国を統率するために大きな力によって、その解釈が歪められ、孔子の本来の教えが活かされていなかった歴史があったのではないかと気付かされましたし、古典を学ぶことで、基本に立ち返る大切さを知ることができました。

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