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「言論の自由は死んだのか?」(GABからのメール)

心の問題から少しそれますが、興味深いトピックなので。

(極?)右のLast Resort(最後の砦)とサヨクから揶揄されているSNSのGABがユーザーに奇妙なメールを配信しています。最後までの読むと、どうやら有償版へのUpgradeや寄付を募る営業メールのようですが(^^;)、「表現の自由」に関する興味深い記述があるので、記しておきたいとおもっています。文章を載せるのは気が引けますが、公益性の高い内容だと思うので、一部和訳して引用します。(原文は英語メールでした)


「言論の自由は死んだのか?」

言論の自由は、多くの人が支持すると主張する原則ですが、残念なことに「自分」の言論が危険にさらされている場合にのみ、本心がわかることが多いようです。私はGabのCEOとして、言論の自由を支持すると「主張する」人々と、本当に支持すると「行動する」人々の数の格差を目の当たりにしてきました。私がGabを始めた時、私は何千万人もの保守派が言論の自由を支持していると思っていました。彼らは皆、彼らに言わせればそうしていると主張していますが、言論の自由をかたくなに守ろうとしている人は、ほんの10%程度に過ぎないと私は推定しています。あなたがこれを読んでいるなら、あなたはその10%の中の1人である可能性があります。

つまり不幸なことに、右派の多くの人々は、誰かが気に入らないことを言うのを見ると、リベラル派と同じように検閲モードに入ります。下院の共和党が反キリスト教の「ヘイトスピーチ」法案を可決し、ロン・デサンティスのような赤い州知事がフロリダ州で同様の「ヘイトスピーチ」法案を可決するなど、これが直接展開されるのを目の当たりにしています。多くの点で、この種の法律は、左翼が過去4年間に言論の自由を抑圧するために行ってきたものよりもはるかに悪いのに、右派の有力者の多くは、これらの問題について完全に沈黙している。」

(中略)

「Gabの存続を可能にし続け、言葉だけでOverton Window(主流派に受け入れられる主張・政策の範囲)を正しい方向にシフトさせ続けてくれる10%の人たちに感謝しています。私たちは、数兆ドルのプロパガンダ機関に立ち向かい、少しずつ私たちの側に心と心を勝ち取っています。私たち10%は歴史の建築家であり、物語を形作り、未来の世代のために言論の自由の原則を守っています。」


GABのようなSNSプラットフォームは有難いのですが、「言論の自由」に関してはちょっと違う視点を感じているので、ここにメモしておきたいと思います。但し、解決策にはなっていません。

(1)言論の自由は絶対か?

・言論の自由は最上位かと言えば、そうではないでしょう。皆それには気付いているので議論が発散する。では言論の自由が制限されるのはどんな場合かというと、明確なリトマス試験紙ではないが、「共同体が破壊される恐れがある場合」だろうと私は思う。
・我々は集団の中に生きているので、こういう問題が起こる。集団とは社会又は共同体と言い換えれば良い。ちなみに「家族」は共同体ではない。人はより良く生きる為に「共同体」(=社会)を作っている。しかし、既に過去の投稿でも書いているが、共同体では個人(家族)の権利は(特にコンフリクトがある場合は)制限される。
・共同体をより良くするために共同体を批判するのは構わないが、共同体破壊につながる言論は制限を受ける。会社という共同体でも同じですよね。

(2)言葉で語れないものもある
「語りえぬものについては沈黙せねばならない」(ウィトゲンシュタイン)

・ウィトゲンシュタインは、「人間は言葉によって語り考えるが、どれだけ語ろうてもすべての現実語り尽くすことはできない。現実は言葉を越えた深い内容をもち、言葉ですべてを考え語ることができると思うのは人間の傲慢である。その傲慢さが思想の対立を生み、諍いから戦争にまで発展する。」と言う。
⇒「沈黙せよ」とは言わないが、語る際には謙虚さは必要だろうと思う。

(3)誰でもグローバルにブローキャストできる時代
・これまでは多少乱暴な会話でもローカルな場から直接出ることは少なかった。そんな場でも出演するのは訓練された人々に限られていた。しかし、今はインターネットを通じて誰もがグローバルにブロードキャストできてしまう。
⇒従って、発信者には節度は必要。

さて、解決策はなかなか難しい。これも結局は倫理なんですよね。