背表紙にただいま

図書館が好きだ。
小学生の頃、児童書エリアから一般図書エリアに私を手招きしたのは赤川次郎だった。当時、空前の赤川次郎ブームが起きていて、名前だけは知っていた。角川映画二本立ての原作の人らしい。どうしようもなく興味をそそられた。

大人の本を借りてもいいのかな、と緊張しながら手にした『三毛猫ホームズ』。
親におマセと思われたくなくて、「図書館の人がすすめてきた」とすぐにバレる嘘までついた。以後、中学卒業するくらいまで次郎ヘビーリーダーであり、その間、女子は林真理子の洗礼を受け、同じ頃、ハルキなる者と出会う。同世代はだいたい似たような道を辿っていた。

大人になってふたたび、一般図書エリアから遠ざかった時期がある。
産後から3歳くらいまでのワンオペ育児期、ベビーカーから手を出し、本棚の本をオモチャのごとく引っこ抜く娘は、児童書エリア限定民と暗黙の認定を受けた。

それでも自分の時間が欲しいと、数時間だけ無認可保育所に預けたことがある。
久しぶりに身軽になって向かった懐かしのその場所で、本は待っていてくれた。
「おかえりー」「おかえりー」
背表紙から声が聞こえる。
私も一冊一冊に心の声をかける。
「ただいまー、会いたかったよー」
「続編が出てたんだ、面白かったもんね」
「ああ、君は買って持ってるよ。当然じゃないか」
書架の隙間で本と会話する三十路女。手を振って挨拶していた気さえする。
傍目からみれば、その姿はさぞかし痛かっただろう。
けれど私たちは、またもや引き裂かれてしまう。

その日、集団生活に免疫がなかった娘は胃腸炎ウィルスに感染してしまい、そのまま入院という緊急事態に発展。幸い一週間で退院できたけれど、働いてもいない母親が子どもを預けて何をしてたんだ、と各方面から非難をいただいた。
「ちょっと、なじみの本たちとお喋りを」なんて言えるわけもなく、あっさり完敗宣言。はい、以後おとなしくしています。結果、無認可保育所は1日で退所することに。その半年後、リベンジだと図書館に一番近い幼稚園に娘を通わせた(選んだ理由は場所だけじゃなく、元々とても素敵な幼稚園です)。

時は流れ、小学生になった娘は私の知らないうちに一般図書エリアに足を踏み入れていて、東野圭吾を借りていた。以後、ヘビーリーダーになっていった。

さらに時は流れ、新型コロナウィルスによる緊急事態宣言下。
我が街の図書館も、貸出は予約のみ、受付カウンターの先には入れず、書籍はすべて閲覧禁止になってしまった。こんな日が来るなんて、考えたこともなかった。
それでも私は知っている。本はいつでも待っていてくれることを。
10月1日、宣言が解除され、私は2ヶ月ぶりに書架の本たちと向き合った。
「おかえりー」「おかえりー」
背表紙から声が聞こえる。私も声をかける。
「ただいま」

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