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中央銀行デジタル通貨のデザイン(1)イントロダクション

1. 中央銀行デジタル通貨への関心の高まり

 ビットコインが人々の耳目を集め、これを支えるブロックチェーン技術が金融サービスに与える影響を国際金融監督者をはじめとする国内外の当局が注目し始めて以降、中央銀行がデジタル通貨を発行する(central bank digital currency: CBDC)というテーマが注目を浴びています。

 実は、中央銀行がデジタル通貨を発行するというテーマは何も新しいものではなく、民間の電子マネーが市民権を得始めた1990年代には既にそのようなテーマでの議論は活発に行われていました。たとえば国際決済銀行(BIS)は、1996年に「Implementations for central banks of the development of electronic money」というレポートを公表しています。もっとも、その際の議論は、マネー・ローンダリングのおそれやシニョリッジの喪失のおそれといった議論に終始し、中央銀行がデジタル通貨を発行するという議論は、現実のものとなりませんでした。当時の議論は、民間の電子マネーが普及することによって法定通貨が用いられなくなるのではないかという懸念から持ち上がったわけですが、結局電子マネーが法定通貨に対する重大な脅威となるという事態は発生しなかったことから、中央銀行によるデジタル通貨の発行という議論は、急速に下火となったのです。

 しかし今、高速インターネット、クラウドサービスとスマートフォンが広く社会に普及し、社会のデジタル化が急速な発展したところに、ブロックチェーンという資産の電子トークン化技術のイノベーションが生まれたことで、中央銀行がデジタル通貨を発行するというテーマが現実味のある選択肢として語られるようになってきています。

 中国人民銀行は、今年の1月、フィンテックに対する自行の取組みの報告書で、法定デジタル通貨の全体的な設計、規格の標準化、影響の研究、複数機関による調査実験が基本的に完了した旨を公表しており、早ければ年内にもデジタル人民元が発行される見込みであると報じられています。

 中国政府は、デジタル人民元を発行してこれを普及させることによって、民間のデジタル通貨が普及してしまうことで資本移動に対する規律を維持することができなくなることを防止することを狙っていると言われています。また、デジタル通貨により資金の流れの監視を強化し、中国の金融システムにおける悩みの種であるシャドーバンクの規制や社会システム全体の悩みである脱税・汚職等の防止を実現し、社会統制を強めていくことも狙っていると言われています。それだけではなく、現在米国がドル基軸体制のもとに構築しているSWIFTなどにみられる国際決済ネットワークへの依存は、中国の覇権実現にとって将来障害となってくることを見越して、米国によるドルを用いた金融制裁網をかいくぐる対外戦略上の位置づけも担っていると言われています。

 国際決済に関するレガシーシステムによって恩恵を受けている米国も、アクセス性の高い効率的なデジタル人民元が、一帯一路政策のもと、中央アジアやアフリカ等に受け入れられ、デジタル人民元建ての貿易が普及してしまえば、覇権国としての地位を脅かされてしまいます。したがって、これに対抗するためには、自らデジタル米ドルを発行して、その利便性の高さによって中国と競争するほかありません。中国と米国のデジタル通貨を巡るこの構図は、イノベーターと既存事業者の攻防の構図とまったく同じであるということです。

 このようなことから、米国商品先元取引委員会(CFTC)の元チェアマンであったChris Giancarlo氏を担ぎだしたDigital Dollar Foundationは、今年5月「The Digital Dollar Project – Exploring a US CBDC」というホワイトペーパーを公表し、デジタル米ドルに関するコミュニケーションを社会と開始しました。

 このような中、日本でも自民党金融調査会のデジタルマネー推進プロジェクトチームがデジタル通貨の実現性について研究を進めるほか、ルール形成戦略議員連盟などが、経済安全保障の観点から円のデジタル化に向けた検討を進めるべきであるとの提言を提出するなど、デジタル円に対する関心が高まりつつあります。

2. ステーブルコインとの違い

 価格の安定したデジタル通貨は、覇権争いに端を発した政府レベルの話とは別トラックで、民間でも強く支持されています。グローバルなデジタル通貨となるのではないかと期待されたビットコインが、対法定通貨での価格安定性が十分でなく、(少なくとも表の世界では)決済手段としての役割を果たせないとの認識が強まる中、価値の安定した暗号型資産への需要が高まっているのです。

 民間が主導する、価値の安定した暗号資産は、一般にステーブルコインと呼ばれています。ステーブルコインについては、一義的な定義があるわけではありませんが、金融安定理事会(FSB)の報告書では、「他の資産(典型的には通貨単位や商品)又は資産のバスケットに対して安定した価値を維持するよう設計された暗号型資産」と定義しています。

 ステーブルコインは、通貨単位や金などの商品、またはこれらの資産のバスケットに対して、安定的な価値を維持するように設計されている点で、こうした安定的な資産との連動を考慮していないビットコインなどの暗号資産とは異なる特徴を持っています。

 ステーブルコインが信頼できる支払手段や価値保蔵手段として機能すれば、現在の決済の仕組みよりも早く、安くかつ多くの人がアクセスできる決済の仕組みを構築することができる可能性があるだけではなく、同じく分散台帳により展開される他のデジタルアセット取引の決済手段として、容易に同時履行やスマートコントラクト機能を用いた複雑な取引を実現するのに役立ちます。このように、ステーブルコインは、それ自体の有用性とともに、他のデジタルアセット、典型的にはセキュリティトークンが普及するためのインフラとして、民間で期待されている決済手段です。

 ステーブルコイン自身は決済のためのインフラですので、いわゆるナローバングがビジネスモデルとして定着しなかったのと同じ理屈で、それ自体でビジネスとして成立させることは至難の業です。したがって、民間の事業者としては、価値の安定した使いやすいデジタル通貨を政府が発行してくれれば、これに乗って様々な革新的なビジネスを創ることができるはずだと確信して、できれば政府にデジタル法定通貨を発行してもらいたいと願っているのです。

 民間が発行する、法定通貨の価値と連動するマネーというと、電子マネーが思い浮かびます。日本の法律では、電子マネーは、預金債権、前払式支払手段、又は資金移動業者の未決済残高として実装することができます。しかし、民間の事業者がこのような電子マネーではないステーブルコインを望んでいるのには、理由があります。

 民間の事業者がステーブルコインとして真に望んでいるのは、どこかの事業者のアカウントのなかに記録されている残高としての通貨価値ではなく、我々がお財布に入れて持ち歩いているような「おカネ」が、紙や金属という物理的なメディアの代わりにデジタルというメディアに表現されたものなのです。

 アカウントの残高とデジタル化された現金の違いなんて、ないんじゃないかと思う人もいるかもしれません。しかし、この二つはいろいろな面で異なります。この記事を通じて、この二つのどこが違うのかということも皆さんに理解してもらえればと思います。

3. CBDCの議論の難しさ

 東京大学名誉教授の岩井克人先生が指摘される通り、おカネというのはもともと循環論法のようなところがあります。おカネは支払手段だったり、モノの交換価値を図る物差しの役割を果たしたり、また価値を時間を超えて保存しておくための手段として機能するにもかかわらず、「なぜおカネに価値があるのか」と言われると、「皆がそれに価値があると思っているから」という以外にしっかりとした根拠があるものではありません。言葉や法律などと同様、「皆がそれを使い、皆がそれを守っているからそのように機能する」という代物です。

 もともとおカネがそのような循環論法的な性質のものであるものですから、「それをデジタル化したCBDCとは一体何なのか」「なぜCBDCが必要なのか」「どうやってCBDCを作ればよいのか」という問いに対して、理路整然とした明確な答えがあることを期待することは、土台無理な話です。

 法改正前の仮想通貨の私法上の性質について議論する、偉い学者の先生方が集まる会議に出席したことがあります。出席者はみな、喧々諤々の議論をしていたわけですが、そもそも法定通貨の私法上の性質について定まった見解を持たない法学が、なぜ仮想通貨の私法上の性質について法律上の議論が可能なのか、不思議に思ったものです。法定通貨については当然のものとして、あたかも与件であるかのように議論なしに受け入れる法学という学問領域が、仮想通貨については既存の法学のツールをもって説明することができるはずであるという仮定が、いったいどこから出てくるのか、大変興味深く思いました。

 CBDCについての議論も同じことが言えます。既に紙片と金属片を媒体とする通貨については何の疑問もなく受け入れているにもかかわらず、媒体がデジタルになるということで、「なぜCBDCが必要なのか」「どうやってCBDCを作ればよいのか」という問いが出てくるのはなぜでしょうか。

 たとえば石の貨幣しかない時代を振り返って、「なぜ紙幣が必要なのか」と問われれば、「持ち運びが便利だから」という回答が十分通用するわけです。「どうやって紙幣を作ればよいのか」と問われれば、「それがちゃんと人々に受け入れられ流通するように、技術と法律を使ってデザインすればよい」ということはちゃんとわかるわけです。

 つまり、「CBDCとは何か」という問いと、「なぜCBDCが必要なのか」「どうやってCBDCを作ればよいのか」という問いは、循環論法ないしは同じ問いを別の形で表現しているに過ぎないと思うのです。

 僕たちは、何か政策をマーケティングする際には、論理的なストーリーを作ってその必要性を皆さんに説得し、納得してもらうことで政策として立案してもらうことができます。循環論法というのは論理としては破綻しているということを意味するわけで、説得的な議論を展開することができません。政策の必要性を擁護する立場にある者にとって、これほど厄介なものはありません。

 もしCBDCがこうした循環論法に陥るたぐいのテーマでなければ、まずはニーズを示すですとか、それをやることによってどんなメリットがあるのかといったことをしっかりと主張したうえで、ではそれをどうやって社会実装するのかということを論じていけばよいということになります。

 しかしCBDCについては、こうした論法は通用しません。なぜなら、そもそもCBDCが何かということを一義的に定義することができません。通貨とは何かを定義できないのですから当然のことです。実際、CBDCの定義は、なぜCBDCが必要なのかということによって変わってきますし、またそこで必要とされるCBDCというのがどのような特徴を持つのかということも、CBDCをどのように実装するかということに依存してしまうということになります。

 そのような循環論法の中にあるCBDCにあっても、それらしい議論を展開する方法が一つあります。それは、「これからの金融はどのようなモデルとなるのか」についての我々の予測に基づき、CBDCをそのモデルに合うようにデザインしていくという論法です。未来は我々の活動と無関係にやっているものではなく、我々が作るものであるはずですから、これは結局「我々が、これからどのようにデジタル社会を創りたいのか」という我々自身の意志が、正しいCBDCをデザインし、実現するということにほかなりません。

 けれども、この論法は、起業家が使うのであればよいですが、政策を提案するには向いていません。とてもエモい感じになりますし、議論に客観性が感じにくいために、伝えるべき人にうまく伝わらないということが起こりかねないためです。

 そこで、今回は未来からの逆算的な論法は控えて、なるべく皆さんに肚落ちをしてもらえるよう、通常の論理的なお話と同じような順番でご説明してみたいと思います。つまり、まず最初に「CBDCとは何か」ということについて、通貨価値の種類とその実装方法の分類とともに、ご説明します。次に、「なぜCBDCが必要なのか」について、CBDCの導入によって期待される社会に対するベネフィットや留意点をご説明します。そのうえで、そのようなベネフィットを実現しつつ、問題が起こる可能性を合理的に軽減するため、「CBDCはどのように実装されるべきなのか」についてご説明します。そのうえで最後に、「そのようなCBDCの導入によってどのような世界が開けるのか」ということを説明したいと思います。

先に「これは実は循環論法なのです」という種明かしをご説明して、そのことをご理解いただいたうえで読み進めてもらえれば、さらに皆さんの理解が深まるのではないかと期待しています。このように理解を深めていただければ、偉い人たちに時たまみられる、CBDCについてまぜっかえすような議論をする人たちに遭遇しても、そのカラクリに気づいて正面からの議論を楽しむことができるでしょう。

第2回「CBDCとはなにか?」に続く

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