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生かされているということ

 乳がんの手術から3週間後。検査結果を聞きにいった。乳がんの宣告を受けた日と同じように、良い答えと悪い答えの両方のシュミレーションを怠らずにその日を迎えた。前回は悪い答えだった。たとえ今回がそれと同じ結果でも大丈夫だった自分が今ここにいる。だからきっとまた受け止められると言い聞かせた。

いつもは1時間以上待たされる乳腺科なのに、その日は待つことものの10分で呼ばれた。母とそわそわしながら入室し、先生の目をまっすぐ見つめた。
結果、リンパ、血液ともに転移なし。ホルモン剤治療、抗がん剤治療、放射線治療すべて必要なしという言葉をもらった。これらがどれだけ身体に負担がかかることか、妊娠を望む場合のデメリットも調べていただけに、とてつもなくほっとした。正直神に救われたとおもった。もちろん同じ病気で、標準治療を受けながら戦っている戦士がたくさんいるのも事実だし、その方たちの気持ちはわたしには分からない。分かるなんて平気で言ってはいけないとも思う。
全てのことをひっくるめて、とにかく眠くなるほど安堵したのだ。この結果を聞くまで、何をしていても落ち着かなかった。
家族にも、夫にも、親しい友人にもすぐに伝え、喜びあった。もちろん今のところなので、今後は何があるか分からない。でも、この今という瞬間に感謝した。
ある友達がみんなの願いが通じたねと言ってくれて、ほんとに多くの人が想っていてくれたことを知った。

このある意味生かされた時間、命をどう生きるのか、どう過ごすのか、神様に試されている気がして、プレッシャーのようなものを感じて焦るけど、何もできないちっぽけな自分しか見えなくて自信をなくす。威勢の良かったわたしは今はどこを探してもいないのだ。
再びティーンエイジャーに戻ったような、混沌とした先の見えない不安すらかんじる。謎のプレッシャーに向き合う前に、いまはまず体力を回復することと、免疫力を上げることに専念することにした。身体という資本を整える投資だ。
 生かされて喜んだのも束の間、日常の忙しさや、これからの不安にまた押しつぶされそうになる。
今頃になって平気だと思ってた気持ちがダメージを受けているみたいな不思議な感覚だ。

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