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エリア50代@りゅーとぴあ(新潟)2021.11.14

エリア50代の新潟公演を観てきました。


ダンスは分からんけども、分からんので、観た。

エリア50代て?

以下、りゅーとぴあのサイトから引用

「エリア50代」は小林十市、近藤良平というスタイルの異なる50代のダンサーそれぞれのソロと、同じく50代のゲスト・ダンサー[伊藤キム、平山素子]のソロからなるトリプルビル。公演の前後にはトークの時間を設け、作品をめぐるダンサーの経験と身体感覚を観客と共有します。3年に1度、横浜で開催される、日本最大のダンスフェスティバル「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA2021」にて、50代のダンサーたちが自身の身体とじっくり向き合い、新たな創造へ向かうことを願って小林十市が企画した「エリア50代」をりゅーとぴあ能楽堂バージョンとして上演!

ということです。
近藤良平さんがコンドルズの人という朧げな記憶はあった。

感想


順番は冒頭のフリートークの時に決める形式で、
①小林十市×アブー・ラグラ『One to One』
②近藤良平×MIKIKO『近藤良平』
③平山素子×笠井叡『J・S・バッハ作曲"フーガの技法"1.2.6.9番によるダンス』
※前がダンサー、後が振付・演出

ダンスをありのまま楽しむには頭が固い人間なので、意味を見出してみることにした。

最初の小林さんのダンスがなんかお祈りに見えました。
能楽堂だしねー、神様に捧げてる感あるよねー。

というのを取っ掛かりにする。

一口に神様と言っても古今東西いろんな宗派、神様がいるけども、こちらの神様から感じるのは一神教な風味。
タイトルは後から知ったんだけどなるほど、アレが「祈り」とするならば、「私←→神」の関係性に見えた。
その二者間の関係性が強固で、ちょっと入り込みづらいなあー、って感じ。
能楽堂で距離が遠かったからかなあ。
どっかの地下室で小林さんをぐるりと囲んで、お香焚いて異様な雰囲気の中で観たら、無茶苦茶トリップ出来そうな気がする。

近藤さんを飛ばし、平山さんの方の感想。
小林さんが「私←→神」の関係なら、平山さんは「能楽堂という空間」に対峙する感じ?
あの舞台という空間には神的なものがある、という前提で。
アフタートークで呼吸の話とかされてた。
振付の笠井さんが「人が息を吐く時、森はその呼気(二酸化炭素)を吸っている」ということを話されていたという。
自然(神)と人が一体になる、的な読みをした。ベタな読み解きだとは思う。
着物的な衣装を羽織られてて、和風な世界観だったしね。

で、近藤さんのが一番フィーリング合ったんだけど。
まず空間の使い方が面白かった。
アパートに一室みたいな感じにするの、能楽堂を。
大仰なことをするのじゃなくて、椅子四つ置いてノートPCとかレコードとか簡単な小物を置くだけ。
橋掛(花道みたいな通路)にもテレビを置く。
結果、最小限の記号の配置で現代的なパーソナルエリアの完成。
それ以外にも手持ち可能なミニプロジェクタでスマホ?の画像を壁面に映したりしてた。
それだけでプロジェクションマッピング、とまでは言わないけど、それっぽい効果が出てた。
橋掛から舞台奥側の壁に投影する範囲を移行してくと、両者の境で角度が変わるのが非常に効果的で良かった。MIKIKOさん凄いね。
で、振付も軽やか、かつ俗っぽさもあって。
ニコ動とかつべで踊り手がやってる「踊ってみた」的なダンスにも見えて。
空間と相まって、本当に事実で「ヘイヘーイ」って具合に踊ってるおっちゃんぽくて良い。
そして、そのおっちゃんの手足がすらっとしてしなやかで、ユーモラスで可愛らしさもあり。
そういう「抜け感」が、風通しの良さに感じられた。

パーソナルな空間だけど、キチンと外部の存在があることを信じられる。
「祈り」の質でいうなら現代日本的な、特定の神様は信じてないけど、大雑把に世界ありがとう感謝!みたいな。
こんな書き方だと軽薄に読めちゃうんだけど、能楽堂の上にそういうものが現出してることを面白く思えてしまったのが実感だった。

最後は旅行用のトランクを持って軽やかに退場。


ダンスの技量は皆さん素晴らしかった。俺がどうこう言えるもんじゃない。
とても50代とは思えんかった。
舞台空間とか、演出に絞った感想でした。

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