美しくない戦後日本の風景 06: アレックス・カー

アレックス・カーという東洋文化研究者のアメリカ人がいる。日本の景観の醜悪さに腹が立ったあまりに、『ニッポン景観論』(集英社、2014年)という写真盛りだくさんの新書を書いている。

(表紙画像元:amazon.co.jp

掲載されている写真はもちろん、日本の至る所で見られるおなじみの風景:電柱、電線、自然界に存在しない色彩の看板、「立ち入り禁止」などの標識が一つどころか複数並び立つ様子、地滑り止めのコンクリート、下手な剪定によって奇怪な枝振りとなった街路樹、そして、田園地帯にこれ見よがしに飾られているブルーシート。

表紙にそういった写真が使われていないのは、本が売れなくなってしまうからだろう。。。

この本の中で、アレックス・カーは、そういった戦後日本の風景の「デザインコンセプト」を一言で言い表している。その一言とは、

工場。


戦後は、(中略)美的感覚まで「工場思想」に染まってしまいました。コンクリートブロックのようなものが文明的だとみなされて、工場で仕上げたツルっとしたものばかりが評価される。日常の道具から住宅、駅、ホテル、レストランに至るまで「工業モード」が勝利したのです。(中略)町でやたらと見かける「安全」「危険」「注意」「立ち入り禁止」の標識や、道路沿いに光っている大きな商業看板も、工場にありそうな光景です。電柱、鉄塔、基地局、電線だらけの町並みは、「住宅街」より「工業団地」のような雰囲気です。(アレックス・カー『ニッポン景観論』(集英社、2014年)、pp. 107-108)

この鋭い指摘を読んで、やっと腑に落ちた。2年ほど前に、ヨーロッパから日本に移住してきて以来、拭うことのできなかった日本の風景への違和感の正体に気づいた。無数にある自動販売機や、駅のプラットフォームや交差点などに必ずある黄色い点字ブロックにも納得がいく。そう、工場の中だと思えば、違和感がない。

例えば、グーグルで「工場」と画像検索すると出てくる、三菱ふそうトラック・バス川崎工場の写真(画像元:インプレス)。

日本で普段歩いている道の様子と、あまり変わらない。ぐちゃっとした感じが。

我々日本人は、24時間、365日、ずうっと、工場の中で生活しているのである。

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