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なぜ日本の結婚式がガラパゴス的進化を遂げたのか?の考察〜1990〜

80年代の終わりごろ、、
昭和から平成になり、消費税が初めて導入され、
さらに 1991年にはいわゆるバブルが崩壊、
一気に日本の経済が大混乱となりました。

これまでの右肩上がりの経済が総崩れして
それまで多くの国民が信じてきた
価値観が見事にひっくりかえってしまったのです。

一流企業に勤めることや、出世すること
お金持ちになって、人より多くのものを所有すること。
それこそが幸せだと教え込まれて育ってきた
昭和世代の若者は

「作り上げられた神話」を 信じることはなくなっていきました。

しかしブライダル業界は それまで培ってきた慣習のままに
方向転換することができないままに とりのこされていきました。。。


時に 1993年 

婚礼業界に一縷の光がさしたのは
現皇后である 皇太子妃 雅子様のご成婚。

まさこさま、さかさに よんでも まさこさま

私は同じ名前なので、人に会うたびに この一句を詠みましたが ついぞひろまることはありませんでした。
しかし 世は 雅子さまフィーバーに沸きました。

それはさておき

ちょうどその頃 ウェディング業界に なぐりこみをかける雑誌が創刊します。

「ゼクシィ創刊号」です

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当時の結婚情報誌といえば、

「けっこんぴあ」ともうひとつくらいしか なかった中で、

本屋に積まれていたこの雑誌の異彩をはなつ表紙を見て、
当時はだれも結婚情報誌だとは 思わなかったでしょう。。

ちょうど 1993年に
結婚することになって どこにするかと
模索していた私。


未来の旦那様は 新進気鋭の空間プロデューサーで
流行の先端に敏感な人でした。

ハンコで押したようなワンパターン結婚式を全否定。
 
「ああいうのは絶対にやりたくない」といって

本屋に私を連れていき これを買え、と指をさしました。

この直感はすごかったと思います。

右を見ても左を見ても ホテルや一般式場しか
選択肢がないと思われる時代でした。

そんな中で、

「リゾートで」
「撮影スタジオで」
「一軒家のレンタスルペースで」
「コンサートホール」など

いわゆる結婚式場ではない場所で
自由な結婚式を あげようじゃないか。

という、当時としては ものすごく斬新すぎる!提案が掲載されていて衝撃を受けました。
わたしは 毎日もちあるいて むさぼるように読みあさり、
掲載されていた会場のうち、首都圏から可能な範囲には
半年かけてほぼすべての場所に下見にいきました。

しかし 

掃除と片付けから始めないとね。。
必要な設備もないので、それをどこか調達しないとね。
・・みたいなところが多く、

当時は
フリーのウェディングプランナーなる職業の片鱗すらない時代で

そういうところでやるには
友人家族総動員して働かせることになるのが
目に見えていたので、本末転倒では?
・・・ということで
現実的に結婚式が実現できそうな会場に
出会うことは できませんでした。。。

けれど いまでもゼクシィ創刊号を作った方々の
発想と 意気込みには心から感謝しています。
できることならお会いしてお礼をいいたい!

このあと、ゼクシィは 方向転換し、
結婚相談所の雑誌版、になっていってしまいましたが・・・
ざ・ん・ね・ん。。


また 
1990年代は 変革の時代の幕開けでも
ウェディング専門のプロデュース会社も登場します。

私たちも結婚式を模索していた1993年に
ちょうどプラン・ドゥ・シーさんが恵比寿で創業。
社長の野田さん直々に説明をしてくださいました。
(勢いにおされて決断できずじまいで、すみません。)

そして 1993年は 日本に
「インターネット」の会社がはじめて設立され

時代は 21世紀へ
さらにあたらしい婚礼文化の幕開けと なっていくのです。


ここまでお付き合いくださった方に感謝を込めて。
続きは またあした。

いつも記事を読んでくださってありがとうございます。いただいたサポート料金は、耕作放棄地に作る温室ウェディングガーデン設立の費用に当てさせていただきたいと思っています!