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綺麗なお金

このところclubhouseを聞きながら自分をチューニングできるようになったと思う。まだ聞く専ですが、、自分の中の気づきがすごくて、これを忘れないうちに書き溜めて置かなくては、、とりあえずガタガタあらあらの未完成でもいいから とにかく思っていることをアウトプットして、あとからちょっとずつ整理をしていけばいいと思うようになった。

だってねー! 文書書くのは割と好きだからいいんだけど・・、タイトル画像をどうするかっていうのが なかなかハードルあがっちゃっていて、画像選んだり加工したりするのに時間がかかってしまうのが重荷になっちゃって、記事書くよりそっちの時間が長くなっちゃってて。。

それと誰かの役に立たなくちゃ意味がない、とか、ちゃんと集客につながるようにとか、マーケティングを考えて、的なことも いろんな人にアドバイス受けていたので、ますます重〜くなっちゃってて、、、下書きついでに 自分自身のために公開記事を書くなんて、読んでる方に失礼だよねぇ。。って思い込みプレッシャーがあったわけで。

でも おとといの clubhouseを聞いていて 9年前に亡くなった父が銀行員だったことに、すごい大きな意味があったこと、それが自分にとってどんなにとんでもない道しるべを与えてくれていたのかということに気づいてしまったのだった。。(特にそういう話題だったわけではないのですが) 

それで昨日は朝から号泣状態になってしまい、今日はやっとこれをしたためようと ひさしぶりに  noteにログインしてみた。。。というわけです。 なので文章がへんなところは どうかお許しください。。


・・で、、ずっと書きたかったお金の話です。

私は 子供の頃に お父さんが なんでもお金で解決しようとするのがいや、って思っていた。。。んですね。。

子供心に、父にはすごく気を使ってしまっていて、というか、お父さんのことは大好きだった、けど、一方でとってもオーラと圧のあるお父さんだったので(笑)、子供としては、怖かったこともあったと思うんだけど。。。お父さんを喜ばせなくちゃ! お父さんに受けなくちゃ!っていつもなんか頑張らなくちゃ的なことを思っていたから 子供なりに一生懸命 無邪気に喜ぶ演技をしたりしてたんですよね。。。可愛くない (> <;)

お土産を買って来てくれたら、そんなに好みじゃないものでも、「わぁーーこれ大好き!」とか言って、お父さんが喜ぶのは嬉しかったんだけど、一度大好きって言っちゃうと、何度も何度も同じものを買ってきちゃうので、「ああ、どこで、もういいよっていったらいいのかなぁ。。」なんて悩んでいるような ちょっと こまっしゃくれた子だったわけで。(子供は大人が思うほど単純ではないのです。)

いつだったか、メロンをどなたかからいただいた、とお父さんが持って帰ってきてくれたことがあって、お父さんが、これすごい高いメロンなんだぞ。一個20000円もするんだぞ、って言われたから、お母さんがメロンを切っている時に、「半分にしたら10000円で、もう半分にしたら5000円で、それを半分にしたら2500円で・・」って、私なりに、子供なりにその価値を表現しようとしていたら・・・

「子供がそんな金勘定するんじゃない!」

ってすごい声でいきなり怒鳴られて、もう、いっきにシューンて、ちっちゃくなっちゃった。。泣くこともできないくらい、縮み上がって固まってた。「え?そんなつもりじゃないよ、悪気はないんだよ、なんでそんなに怒るの? パパ嫌い!」って心の中で叫んでた。

何か困ったことがあると、お金で解決しようとする、なにかっていうとお金お金っていう。。お金を稼ぐこと、お金を稼いだことを自慢するお父さんに、まだ子供だった私は、ずうううっと 違和感を感じていた。。

私が子供だった 昭和30-40年代は(年齢バレバレ)、日本が全体として、高度経済成長期にあり、物価は右肩上がりだし、誰しもカラーテレビ、洗濯機、掃除機などの電化製品をこぞって手に入れて、大きなステレオや、かっこいい車、があると自慢で、高級なものとか、お値段が高いものに価値があり、「もの」と「お金」をより多く持っていることがステイタスの時代だった。だれより一番になること、だれより出世すること、だれより稼ぐことが すごく価値がある時代だった。だけど私はずっとそのことになんとなく批判的な子供で、なんかちがうんだよなぁなんて思っていた、ちょっと変わった子供だった。

お父さんは両親 つまり私の父方のおじいちゃんとおばあちゃんが学校の先生だったこともあって、決してお金持ちじゃない家庭に育った。ましてや戦後の貧しい時代をいやっていうほど味わってきたのだから、お金を稼ぐことは生きるために必要なことだった。とっても勝気だったおばあちゃんの気質を受け継いで、人より勝つこと、一番になることに お父さんは、そこそこ応えられる優秀な人だったし、典型的な九州男児で、おれについてこい、っていうタイプだったから、プライドも高くて、圧があったのは当然のこと?だったんだと思う。

徳川家康が大好きだった。勤務していたの銀行も「富士銀行」(元みずほ) だった。富士山が好きだった。日本一の山の麓にある富士霊園の、一番てっぺんにあるお墓に今お父さんは眠っている。富士山を見ながらお参りするたびに、お父さんがどんなに頑張り屋だったのか、ここにお墓を立てた気持ちも今はやっとわかるようになった。お金を稼ぐことで きっと家族を日本一幸せにするんだって、思っていたんだね。。曲がった事が大嫌いだったし、組織が嫌いで、一匹狼で、(ああ、私ってめちゃ父譲り)  でも愛情が深くて、家族のために、我が子のためにって、すっごい頑張っていたんだよね。。。

それを思うと、ほんとに、、申し訳なかったと思うけれど・・・

あるとき たぶん中学生か高校生くらいの時に なにがきっかけだったか思い出せないんだけど(いつか思い出せるかなぁ) 、、、

「お金 お金って、お金のことばっかりいうお父さんなんて 大っ嫌い!!!!」

と ぶちきれて 大声で叫んでしまったことがある。

「私はお父さんみたいになりたくない!! 

 一生貧乏でも、どんなにお金に困っても、私は 絶対にお父さんみたいにはならない!!」

って 宣言してしまった。


最愛の娘に こんなことを いわれた父の気持ちを思うと 今は いたたたまれない気持ちになるけれど、、(お父さん、本当にごめん)

その時は 本当に本気で 

私は一生 お金持ちになんてならない、貧乏でいるんだ

って 決断してしまった。

それからというもの、、その決断通り、いつもお金には困る生活で(笑)  好きなことやっているから当然だ、わたしは 自分の人生とお金を引き替えになんて絶対しないって 思っていた。

貧乏なことや お金に苦労することは、美徳だと思っていたし、人としてそれが正しい道だと 心底思っていた。

大学卒業後に、好きな道に進むこと=ダンサーから舞台役者になる道を邁進して、舞台の上で死ねたら最高 くらいに思って20代を過ごした。

それから、、まあ、、いろんなことがあって 

サーカスの司会とか、うたのおねえさんとか、まあ、ほんとにいろんな仕事をして いじめにあったり、どん底におちたりもして、鬱になったりもして、自殺しようと線路に立っていたあの瞬間もあって。。

なんとも波乱万丈な人生で それでも 私は、おてんとさまに顔を向けられる生き方をするんだ、お金なんていらない!! って思っていた。

その価値観が すこしずつ、もしかして、それって、、なんか違うんじゃないか?って思えるようになってきたのはようやく 西暦2000年を超えた頃、40代になった頃のことだった。

本田健さんという「ユダヤ人大富豪の教え」を書いた方にめちゃめちゃ影響を受けたことがきっかけだった。そのころ、まだ本田健さんは、無料の冊子を配っておられた頃で、たまたま なんでその冊子を手にしたのかすらおぼえてないのだけれど、その冊子に書いてあったことは、お金に対して憎しみしかなかった私に、全く新しい価値観を教えてくれた。

お金か、好きなことか、どっちか選べ! といわれて、それならおかねなんかいらないから、好きなことで生きてやるーって思ってきたんだけど、

え? もしかして、、、両方でもいいの?????????

好きなことと引き換えに貧乏でいるんじゃなくて、すきなことをやってお金持ちになってもいいんだ。。。。。。?????

40年もの間、貧乏=いいこと、金持ち=悪いこと、 貧乏は 人として正解って信じ切ってきた私にとっては、そりゃもう、人生ひっくり返るくらいの「教え」だったのだ。

本田健さんの本を片っ端から読んだ。それに関連する本もたくさん読んだ。でも、一体どうしたらそんな生き方ができるんだろう? 何かに突き動かされて、一念発起、大したお金もなかったのに、ほぼ全財産つぎこんでイベントを企画した。 

2004年5月30日 東京 こまばエミナースにて

「好きなことで生きていく〜OPEN YOUR DOOR〜」

間違いなく私の最大の人生の転機となる日になった。好きなことでちゃんと稼いで成功している二人のゲストをお呼びして、お話を聞いた。ステージの上で、ゲストの方のインタビューをしていたときに、客席からすごい感動オーラの反射を感じていて、「やった、、成功した、やりとげた、、」という手応えを感じた。

恐れおおくも、本田健さんが、無料の冊子をゲスト人数分無償でご提供してくださった上に、イベントの推薦文まで書いてくださった。。。(もう感謝しまくりで 今も 足むけてねられません)

開催当日まで 毎日吐きそうになりながらも、ほんとうにたくさんの方の力を借りることができて、毎日のようにその様子をブログに書いて、知らない方からのはげましのメッセージをいただいたりもしたのだ。しかしその一方で すごく傷つくできごともあったりして、毎日がジェットコースター。ごはんが食べられなくなって、激ヤセしてしまい、そのあと1年ほど 鬱になってしまったりもした・・イベントの成功と引き換えにしたものも大きかったんだけど

そのときに はっきりと わかったことは わざわざお金を払ってまで喜んでくれた人がいたってことだった。

世界の見え方が変わった、って言ってくれた人がいた。イベントのために私が書いた詩をよんで、わざわざ山口県から東京までそのイベントを見にきてくれて、めちゃめちゃ応援してくれた人がいた。海を越えて応援してくれる人との出会いがあった。前日には、最後の最後に、奇跡が起きて、神様が味方してくれた、って泣き崩れそうになった。そして今まで手にしたことがなかった大きな額の「綺麗なお金」を集めることができた。という実感があった。

その時の準備ブログにも、「ありがとう」でできているお金は「綺麗なお金」なんだ、ということを掲載したら、結構反響があって、お金は稼ぐ、と思うと心にブレーキがかかっちゃうけど、いったん預かってそれを社会に返す、ぐるぐるまわすとみんなが豊かになれる、そういう綺麗なお金の循環を起こしたい、という私の新しい夢が生まれた。

しかしその時、実際そのお金を受けとったら、たぶんまだ自分の中に受け取る準備ができてなかったせいか、人としての器がちっちゃかったせいか、そのあとすごく辛い思いをしてしまったのだけど。。。

そんな体験の中で、いつか、自分が 自分の心のど真ん中にあることをして、たくさん「ありがとう」を受け取れる大きな人になりたい、綺麗なお金をたくさんお預かりし、たくさん世の中に返すことができる人になりたいって本気で思うようになった。

それから3年後 2007年起業。それができるのはウェディングだ、という確信を得て、今の仕事に絞ったのはそれから1年後だった、

「ありがとう」を伝えたい

というキャッチコピーをウェブサイトに掲げて、ウェディングの仕事に没頭した。

正直な話は、、それから14年が経とうとしているのに、私は まだまた未熟すぎて、たくさん受け取ってたくさん返すってところには まだほど遠い。


だけど、「家族の幸せのために」ってお金をいっぱい稼ごうとしてくれていたお父さんが、ちょっぴり不器用で、ちょっぴり表現下手だったけど、すっごく愛が深かったってこと、お金が「お父さんの愛」そのものだったってこと、骨身にしみてわかった。


お父さん、ちゃんと受け止めてあげなくてごめんね。

お父さんなんて大嫌いっていっちゃってごめんね。


これから、、お父さんの愛をちゃんと受けとめて、たくさん綺麗なお金を稼げる人になろうと思うんだ。

お父さんがやりたかったこと、お父さんが本当にわかって欲しかったこと、正義感が強くって、なんでお金をいっぱい稼ぎたかったのか、、お父さんの気持ちが今ならわかるよ。。

わたし、未熟だったね、、子供だったね。ほんとうにごめんね。


天国でお父さんが、いいよ、いいよ、わかってるよ、って言ってくれていますように。。
















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