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日々雑感【香港のこと】

先日NHKで放送された「“染紅” 変貌する香港 ―『自由と民主』が消えるとき―」という番組を見ました。

香港に住んでいたことのある身にとって、とても衝撃的な内容でした。

私が香港に住んでいたのは1993年8月から2000年1月までの6年5ヶ月。
1997年の香港のイギリスから中国への返還という歴史的な出来事を現地で経験しました。

そのときの私の任務は自社の製品を中国で販売するための販路を開拓し、構築するということでした。
それなのに「何故、香港?」と思われるかもしれませんね。
当時の中国では外国人の活動が制限されていました。
私が携わった「営業活動」もその一つでした。
外国人が中国国内で物を販売することは禁じられていたのです。
販売に関して許されていたのは、広告や宣伝といった「販売促進活動」だけでした。
そのため、中国国内には、販売はせず、販売促進活動だけをおこなう「駐在員事務所」という拠点を置き、製品は香港で中国への輸入業者に売る、という形をとっていました。
この輸入業者は中国籍ですが、誰でも自由に輸入できたわけではなく、特定の条件を満たした業者にしかその権利が与えられていませんでした。

余談になりますが、これらの業者は「密輸」とまでは言いませんが、それに近い不正を当然のこととしておこなっていました。
そういう人たちとの交渉や駆け引きも私の重要な仕事の一つでした。

さて、前置きはこのくらいにして。
中国本土と香港とではそのくらいの違いがありました。
イギリス統治下で自由が保障されていた香港と、外国人だけでなく中国人に対しても様々な活動が制限されている中国。

1997年の返還に際し、「50年間は香港の高度な自治を保障する」ことになっていました。
しかし、25年経ったところでその「自治」が中国政府によって制限されている、というのが冒頭に書いた番組の内容です。

例えば、教育現場では、以前はあった、一つの課題について生徒が自由に意見交換をする授業が、今はなくなったそうです。
代わりに、中華人民共和国という「祖国」への愛国心を植え付ける教育がおこなわれています。
自由に意見を述べることが許されないのが当然という教育がなされています。

報道の自由も制限され、かつては自由にできた反中国政府の報道はもはやできなくなっています。
1989年6月4日の天安門事件については、語られることすら許されない。
数年前までは、私も参加したことがありますが、毎年6月4日に、事件での犠牲者を悼む大規模な追悼集会が開かれていましたが、それも今は事実上禁止されています。

このところ中国本土からの「新移民」と呼ばれる移民が増えており、香港の750万の人口のうち100万人以上がこの新移民になっているそうです。
この新移民は当然「愛国者」です。

立候補も投票も自由だった選挙。
今は中国政府寄りの者しか立候補できない。

こうして、自由だったころの香港を知る人が今後減ってゆくのでしょう。

「自由だった」と、「自由」を過去形で書かなくてはならないことに、日本で生まれ育った私はとても大きな違和感を持ちます。

「自由の港」とうたわれた香港に自由が戻ってくる日は来るのでしょうか。