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【人の「価値」】

私の知り合いにこんな人がいました。

怪しげなところから借金をしなくてはならないほど金銭的に破綻した生活をしており、風俗の世界で働いて何とか生活していた。精神的にも病んでおり、「医者は信用できない」「自分が言ったことを秘密にしておくわけがない」などと言って医者にも行かない。

その人がことあるごとに言っていたこと。

「周りの友達は一流会社に勤め、ブランド物を身に着け、海外旅行にも行っている。なのに自分は...自分は必死で生きているのに、何も悪いことをしていないのに、世の中はなんて不公平なのだ。」と。

その人はある目標を持って東京に出て来、薄給で修業に励んでいました。しかし、そのとき周囲にいたのは金持ちが多く、その人たちと張り合おうと、働いて得たわずかなお金をすべてブランド品に使い、高級マンションに住み、という生活をしていました。

薄給ですから、そんな生活をするために借金にも手を出し始めました。

私が知っていた頃に抱えていた借金はそのときからのものです。

その人は双極性障害を患っており、躁状態になると後先考えずに数十万円の買い物をしまくる。ハッと我に返ったときには借金がさらに膨らんでいる。慌ててそれらの品を質屋などに売り、少しでも金を取り戻す。

それでいて、先の言葉。

確かに「悪いこと」はしていません。しかし、周囲と張り合うことにばかり目が向き、夢を叶えるために本来やるべきことを一切してこなかった。当然の帰結と私には思えます。それなのに「世の中は不公平」と嘆くのは筋違い。

すべての人に言えることだと思いますが「今の自分」があるのはそれなりの理由があると思います。

そして、その人に関してもう一つ思うこと。

一流会社に勤めること、ブランド品を身に着けることが人として価値のあることなのか、と。

一流と言われる会社はたくさんありますが、そこに働くすべての従業員が人として一流とは限りません。その会社に働いているからその人が一流という訳ではありません。一流会社に働いているから幸せといえるのかどうかも分かりません。

ブランド物も然り。ブランド物を身に着けることが人としての価値を決めるものではありません。何故その人がそんなにブランド物にこだわるのか、私には理解できませんでした。

私はその人に繰り返し言いました。「少なくとも食と住の心配のない実家に戻り、じっくり病気の治療した方が良い」と。

しかし、それすらしませんでした。今、どこでどうしているのか知りません。


その人に気づいてもらいたかったこと、そして、私自身も考えるべきこと。

それは、自分が今、良くも悪くもこうなっているのは何故か。過去の何が今の自分を作り上げたのか、ということです。

あるいは、「過去」に何かがあったから、ではなくその捉え方の問題なのだろうか。

消し去りたい過去を持っている人は多いと思います。私もそういう過去がたくさんあります。「あの時、あんなことをしなかったら」「あれさえなければ」。

しかし、その過去が故にみんながみんな今が不幸という訳ではありません。
過去は変えることができません。大切なのはどんな過去があろうと、それを「今」どう捉えて将来に活かしてゆくかを考えることではないかと思うのです。変えることができるのは過去ではなく将来なのだ、と。

もう一つ。

人の価値を決めるものは何か。いや、そもそも人に「価値」の有無があるのか。

相模原の知的障がい者施設で19人の命を奪った殺傷事件の犯人は「意思疎通ができない人たちは生きている価値がない」「生産性のない人たちは生きている価値がない」ということを言っています。

そうなのでしょうか。

違うと思います。

すべての人に価値がある。「自分には価値がない」と思うのは、「価値がない」のではなく、その「価値」に気づいていないだけではないでしょうか。