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日々雑感【日本語を入力するということ】

今や多くの人がスマートフォンやパソコンで日本語を入力しています。
当たり前ですね。
しかし、この「当たり前」が「当たり前」になるのには少なくとも約50年がかかっています。

世の中に「日本語ワードプロセッサ(日本語ワープロ)」というものが東芝から発表されたのは1978年のことでした。
まだパーソナルコンピュータ(パソコン)はないに等しく、コンピュータは人の背丈よりも高い巨大な装置で、特別な人たちだけが扱うものでした。

このころのコンピュータはRAMが8KB(MBではなく)、外部記憶装置(今でいうハードディスクドライブ)がせいぜい5MBというもので、価格は数千万円でした。

そのころの事務文書のほとんどは手書きです。
英文についてはタイプライターというものが早くからあったので一般人が活字で打つことができましたが、日本語にはそういうものはありませんでした。
あ、タイプライター?
古い時代やそういうころを背景にした映画やドラマに出てきます。
ガチャガチャ、ガッチャン、チーンと音を立てて紙に活字を打つ装置です。

では、日本語で活字で打つ必要があるときにどうしていたかというと、和文タイプライターというものがありました。
契約書など、公式な文書などはこの装置で活字の文書を作っていましたが、操作には特別な技能が必要で、どこにでもある代物ではありませんでした。
今のパソコンのキーボードに相当する位置に大きな四角い板があり、そこに日本語の文字がびっしり埋まっています。
打ちたい文字の活字の上に目印(なんと呼ぶのか知りません)を合わせてボタンを押すとその文字の活字がガッチャンとインクリボンを打ち、その向こうにある紙に文字が打たれるというものです。

https://youtu.be/1fYh1oEPKik

それはそれは大変な作業だったと思います。
なにしろ1,000以上の文字があって、その中から必要な文字がどこにあるかを探すのですから。
その上で、用紙のどこに打つかといった位置合わせや間違えた場合の修正など、一般の人には扱えず、特殊技能を必要とする専門職でした。
ですので、有料でタイプを依頼することになります。
原稿を、持ち込みか郵送で届け、数日後に出来上がる。
確か、一文字いくら、という料金設定だったと思います。
間違えがあったら、さあ大変。

そして、ついでですが、まだ複写機(コピー機)は普及していませんでしたので、必要部数作ってもらう必要がありました。
複写の手段がまったくなかったわけではありませんが、「青焼」と呼ばれるもので、事務文書の複写に使えるものではありませんでした。

こういう時代に登場した「日本語ワードプロセッサ」。
ワープロ機能しかないパソコンとお考えください。
とはいっても、大きさは机一つ分、机の代わりにこの装置を置くというほどのものでした。
そして、ワープロにしか使えませんでしたが、値段は日本語ワープロの第一号機、東芝のJW-10が630万円、その後もしばらく200万円はくだりませんでした。

この日本語ワープロにはさまざまな課題がありました。
その一つが入力です。
欧米と違って、日本にはタイプライターという文化がありませんでした。
そこへきてコンピュータに何かを入力するといってもどうして良いかわかりません。
そこで、当初の日本語ワープロの入力方法には大きく二つありました。
一つは、和文タイプライターの流れを汲む方式。
「ペンタッチ入力」と呼ばれており、シャープの「書院」という機種が採用していました。
文字盤にびっしり並んでいる文字の中から必要な文字をペンで指すという方法です。
文字を探すのは一苦労で、時間はかかりますが、まぁ誰にでも入力できるといえるでしょう。

もう一つの方法が「かな入力」です。
今、パソコンをお持ちでしたら、キーボードを見てください。
ひらがな、あるいは、カタカナが書いてありますね。
これは何に使うのかというと、「かな」で入力するときに使います。
「かな入力」はローマ字入力に比べると、キーを打つ回数が、単純にいえば、半分で済みます。
どういうことかというと。
「こんにちは」と入力しようとしたときに、ローマ字入力だと「こ」の入力に「K」と「O」の二つのキーを押さなくてはなりませんが、かな入力なら「こ」のキー一つで済みます。
「こんにちは」くらいなら大差はないかもしれませんが、多くの文章を入力する場合には、使いこなせば、大幅な時間短縮になります。
とはいえ、私も含めて、「かな入力」への切り替え方法すら知らないくらい、この方式を利用している人は少ないのではないかと思います。

しかし、当初は「かな入力」が主流でした。
ただし、そのためには五十音、46個のかなのキーの位置を覚えなくてはなりません。
それに加えて、濁点だの半濁点だのも必要になります。
この「かな入力」のためのキー配列にも二つの方式があり、今の多くのパソコンのキー配列のように、なんだか意味不明の配列と、五十音順のものとがありました。

いずれにしても、「かな」での入力は今ひとつ普及せずにいたところに出てきたのがキヤノンが初めて採用した「ローマ字入力」でした。
発売当初は「日本語をわざわざローマ字にして入力なんて面倒」と思われました。
私もこの日本語ワープロの販売に携わりましたが、よくそういう声を聞きました。
そのような声に対して、繰り返し訴えたのは「かなだと少なくとも46文字、ローマ字なら最大26文字のキーの位置を覚えれば済みます」ということでした。
加えて、促音の入力にはローマ字入力のほうが楽です。
「入力」なら、ローマ字だと「NYUU」ですが、かな入力だと、どうするんでしょう?
「に」「ゆ」「う」だけではなく、「ゆ」を小さい文字にするために他のキーを押さなくてはならないのだと思います。

このようなことが市場に受け入れられ、今ではキーボードからの入力は「ローマ字入力」方式を使う人が圧倒的なのではないでしょうか。

そして、入力方式と同じくらい、日本語入力のもう一つの大きな課題は「かな漢字変換」でした。

例えば、パソコンで「きしゃのきしゃがきしゃできしゃした」と入力してみてください。
変換キーを1回押すだけで「貴社の記者が汽車で帰社した」と変換されませんか?
何故でしょう?
不思議ですねぇ。

同じ「きしゃ」が何故それぞれ適切な「きしゃ」に変換されるのでしょう。
これが「かな漢字変換」ということです。
ひらがな、カタカナ、漢字という三つの文字種がある日本語。
そして、そこにある「同音異義語」という厄介な問題。

初期の日本語ワープロでは「最後に選んだものが次に出てくる」とか「変換された回数が多いものを優先的に出す」といった論理だったようですが、次第に文法を組み込むなどして、今の形になりました。
今では例えば「いんすた」と入力すれば「Instagram」と変換されるように漢字以外にも変換されるほど技術が進歩しています。

このような変遷を経るうちに、パソコンが普及することで、装置も日本語ワープロ専用機ではなく、日本語ワープロは一つのソフトウェア(アプリ)という位置付けになりました。

さらにはキーボードのないスマートフォンではまた別の入力方式が生み出され、多くの人が抵抗なく「コンピュータ」に日本語を入力できるようになっています。

30年ほど前のことだったと思います。
マイクロソフト社の創業者であるビル・ゲイツ氏がこんなことを言っていました。
「今に、水道の蛇口をひねるのと同じように人々がコンピュータを使う時代になる」
その通りになりました。

日本語ワードプロセッサが誕生してから半世紀。
この変化を早いと見るか「やっと」と見るか。

皆さんの印象はいかがですか?