ホッケーへの思い
私は(アイス)ホッケーが大好きです。
「狂」の字がついても良いくらい好きです。
ホッケー熱に火がついたのは1972年のこと。
この年は札幌オリンピックが開かれ、日本中がジャンプの「日の丸飛行隊」に歓喜し、氷上の妖精、ジャネット・リンに魅了されました。
私もこれらの競技を楽しみ、日本選手に声援を送っていましたが、同時に別のところに目が向きました。
同じ年の9月におこなわれたカナダ対ソ連の「サミット・シリーズ」。
詳細は省きますが、オリンピックでは常にソ連が圧倒的な強さを誇っていました。
一方、ホッケーの母国ともいえるカナダは有力選手がみなプロになるため、オリンピックへのプロ選手の参加を禁じていた当時、カナダはベスト・メンバーを送ることができずにいました。
また、政治的には東西冷戦の緊張が高まっていた時期でもありました。
そんな折に、ホッケーの「真の世界一を決めよう」ということで開催されたのがこの「サミット・シリーズ」でした。
まさにホッケーの「首脳会談」です。
ソ連は常勝のナショナルチーム、そして、カナダはプロのオール・スターで固めた最強チームを組み、カナダとソ連で4試合ずつ、計8試合のシリーズを戦いました。
結果はカナダが4勝3敗1分で、かろうじて「ホッケー発祥の地」の面目を保ちました。
生中継ではありませんでしたが、この試合をテレビで観た私は一気に世界最高レベルのホッケーに取り憑かれてしまったのです。
しかし、当時は日本でこのプロホッケーを観る機会はまったくありませんでした。
それなら、ということで、カナダのモントリオールまで試合を観に行ったのが1978年。
それまで活字と写真でしか見たことのなかった選手たちが目の前で動いている!
あの感動は40数年経った今でも忘れません。
以来、冬のボーナスをすべて注ぎ込み、年末年始の休暇にモントリオールに出かけること10回。
いずれも試合を観るだけの旅行でした。
独身だったからできたことです。
こうして、一つの夢を叶えた訳ですが、私にはもう一つ、大きな夢がありました。
それはソ連対チェコスロバキアのオリンピックでの決勝戦を観ること、でした。
札幌オリンピックの4年前、1968年のフランスのグルノーブルでのオリンピックでのこと。
絶対的な強さを誇っていたソ連をチェコスロバキアが5対4で破りました。
この熱戦を私は漠然と記憶しており、ホッケー熱に侵されてからはこのような試合を観ることも一つの夢となったのでした。
そして、その夢が叶ったのは1998年の長野オリンピックでした。
欧米でのオリンピックでホッケーの決勝戦の切符を入手することはほぼ不可能と言われています。
しかし、この年は日本で開催されたことが幸いし、運良く決勝戦の切符を手に入れることができました。
当時、私は海外赴任中でしたが、この試合を観るためにその赴任先から一時帰国をしたのでした。
本当はオリンピック史上初めてプロのオールスター・チームを送り込んだカナダを応援していましたが、幸か不幸か決勝戦はロシア対チェコになりました。
国は変わってしまいましたが、実質的にはソ連対チェコスロバキア戦といって良いでしょう。
ヨーロッパでおこなわれたら両国の熱狂的なファンの中での試合になったでしょうが、長野ではとても静かな中での試合でした。
1対0でチェコが勝利をおさめた試合で、息詰まる熱戦であったものの、私にとっては「美しい」試合でした。
観客が静かだったこともあるでしょう。
それはそれは美しく、流れるような試合でした。
激しい競技であるホッケーに「美しい」という言葉は似合わないかもしれません。
しかし、ほんとうに美しかった。
豊かに流れる音楽のように、いつまでもいつまでもその中に浸っていたい。
そう思わせる試合でした。
カナダのプロホッケーを観る、ソ連対チェコスロバキアのオリンピックの決勝戦を観る。
この二つの大きな夢を叶えた今、もう一つ、最後の夢があります。
それは、北米のプロホッケーの優勝が決まる一戦をその場で観たい、ということです。
しかし、30あるチームのどこが決勝に進むか分からない。
そして、切符を手に入れることは至難の業。
ですから、この夢が実現することはないでしょう。
でも、三つのうちの二つの夢が叶っただけで、十分満足しています。