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テレビを見て思うこと

あまりテレビを見ない私ですが、それでも見たときに気になることがたくさんあります。

それらを思いつくままに挙げてみると,,,,,

私は19時前後にNHKを見ることが多いのですが、いつも呆れることがあります。
番組の予告や番組の冒頭部分に「迫る」という言葉のなんと多いことか。
「秘密に迫ります」
「真相に迫ります」
「謎に迫ります」
などなど。
他に言葉を知らないのでしょうか。

「他に言葉を知らないのか」といえば、「安心・安全」。
何かというと「安心・安全な◯◯を目指します」。
なんだか安っぽさを感じてしまいます。

安っぽさで群を抜いているのが政治家の発言に頻発する「スピード感を持って」「緊張感を持って」「しっかり」と言った言葉。
中身がないから、こういう具体性のない言葉で飾るしかないのでしょう。

最近の政治家の発言で気になったのは、誰だったか、大臣の言葉。
先日の大型台風を受けて、早々に関係閣僚会議が開かれたときに、「被害が出る前に関係閣僚会議が招集されることは通常はない」と。
「被害が出なければ召集されない」ことが「通常」なんですね。
とても「緊張感を持って」いるとは思えません。

このところ、気象情報やそれにまつわる報道を見ていて思うのですが、「過去に例がない」「数十年に一度」「これまでに経験したことのない」といった言葉が使われることが多いですね。
また、「線状降水帯」など、初めて聞く言葉も増えています。
それだけ環境が大きく変化しているのでしょう。

ニュースを見ていると、ほとんど毎日、火事や交通事故が報じられます。
でも、被害者の方々はとてもお気の毒ですが、どこの誰だか知らない人たちの火事や事故を報じることにどれだけの意味があるのだろうか、と思うのです。
地方ニュースならまだしも、全国放送で。

他にも「意味がない」と思うことがあります。
犯罪被害者についての詳しい報道。
写真だけでなく、生前の動画まで公開しているものもあります。
また、
「誕生日を間近に控えていたのに」
「結婚式を挙げたばかりなのに」
「いつもニコニコして可愛かったのに」
もちろん、可哀想とは思いますが、そんなに詳しく伝える意味があるのでしょうか。

もう一つ、その意味に疑問を感じる「ニュース」。
NHKを含む多くのニュース番組に「世界のニュース」が報じられる時間があります。
「世界のメディアが何を伝えているのかをお伝えします」と。
そこで紹介される「ニュース」の多くは、車が店舗に突っ込んだ、スマートフォンを見ながら歩いていた人が池に落ちた、動物が市街地に出てきた、トマトの収穫祭で住民が楽しんだ、といったこと。
ほんとに世界のメディアはこういうことしか伝えていないのでしょうか。
もっと世界に、あるいは、その国に影響を与えている出来事は報道されていないのでしょうか。

話変わって、最近の報道で多いことの一つに「いじめ」があります。
先日もいじめによる生徒の自殺に関する報道がありました。
記者会見で管轄の教育委員会が遺族への陳謝を表明していましたが、調査結果として「いじめと自殺の因果関係は認められなかった」とも言っていました。
では、いったい何に対して、何を「陳謝」したのでしょう。

被害者や遺族が「謝って欲しい」「詫びの一言が欲しい」といったことを言うことがよくあります。
しかし、ただ謝ればそれで済むのでしょうか。
もちろん、謝ることは必要でしょう。
でも、私がもし被害者の関係者だったら、詫びの言葉など要らないから賠償金をたっぷりふんだくってやる、と思います。
卑しいですかね。

こういう類の会見で気になる言葉の一つ、「~したい」。
「お詫びを申し上げたい」
「再発防止に努めたい」
「努力してゆきたい」
なぜ、「申し上げます」「努めます」「努力します」ではないのでしょう。
「したい」と思うだけで、そうするかどうかは別問題ということなのでしょうか。

細かいことですが、「ホームページ」という言葉も気になります。
え?と思いますよね。
でも、私が知る限り、海外では「ウェブサイト」という言葉が使われることがほとんどです。
「ホームページ」というのは「ウェブサイト」全体の「表紙」にあたる部分で、その「ウェブサイト」を見たときに最初に現れるページを指すものと理解しています。

こんなことばかりが気になるのなら、テレビなんか見ないほうがいいのかもしれませんね。