見出し画像

ぬいぐるみ

小学校6年の誕生日、わたしは誕生日プレゼントを買ってもらうために、母について買い物に来ていた。
特に欲しいものはなかった。というより、田舎の店には小さな雑貨屋さんしかなくて、わたしの欲しいものはいつもなかったからだ。
ふと大きなものが視界に入った。
象のぬいぐるみだった。4本足で立ち、目は縦長でつぶらだった。わたしが上に乗れそうなくらいの大きさだ。
値段を見た。5000円。
しばらく眺めたあと、母に声をかけた。
「あれが欲しい」
案の定、母は驚いた顔をした。
「えっ、あれ?」
あんな大きいのどこに置くの?どうしてもあれがいいの?
わたしはそれでも欲しいと呟いた。
母は少し考えるような顔をした後、
「どうしてもって言うなら買ってあげるけど」
わたしはもう一度、ぬいぐるみを見た。あの大きなぬいぐるみを抱えて帰る自分を想像する。
「やっぱり、いいわ」
母の表情が安堵の表情になる。

母はあの時のことを今でも覚えているみたいだ。
「あのとき、あんた大きい象のぬいぐるみ欲しがってたなぁ、買わなくてよかったやろ」
誕生日の話になったとき、母は言った。
わたしは苦笑いして頷いた。
「まあ確かに。ぬいぐるみは処分に困るもんなぁ」

けれど、本当に買わなくてよかったのだろうか、とふと思う。
もし買っていたら、買ってよかったと思っていたんじゃないか。
5年生のときに旅行先で買ってもらったトトロのぬいぐるみを今でもわたしは大事にしている。父に、お前5年生にもなってそんなもんが欲しいんか、と呆れられたぬいぐるみ。
わたしが結婚して家を出るとき、
「それ、マジで持っていくん?」
と妹に笑われたやつだ。
もの持ちがいい、と言われるけれど、たぶん違う。好きじゃなければすぐになくすし、使い続けたりない。
小さい頃から変わっていないものがわたしの中にあるだけだ。それが何かはわからない。
たぶん、ぎゅっと握りしめているのではなくて、体のなかの血みたいに流れている何かが今もあるだけなのだと思っている。

#エッセイ #ぬいぐるみ #誕生日

いただいたサポートは創作活動、本を作るのに使わせていただきます。