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夕暮れの鐘

学生のころ、美術館にときどき通ったり、週刊の美術雑誌を集めたりしていた。絵画はバルビゾン派が好きだった。
ある日、実家の玄関に大きくて平らな段ボールの荷物が届いていた。
これは絵だな、と思った。また父が買ったのだ。開けてみたいと思ったけれど、勝手に開けるのはさすがにまずいだろう。
何の絵だろう。直感でミレーの〈晩鐘〉かなと思った。
帰ってきた父にすぐ聞いた。
「あれ、絵でしょ。ミレーの晩鐘?」
「なんやったかな」
自分で買ったのに覚えていないのか。段ボールを開ける父の隣で私はその瞬間を待った。
中から出てきたのは〈晩鐘〉だった。
「なんでわかった?」
「いや、勘」
おそらく父も好きな絵だったのだ。それも多分同じ理由で。

好きな本と絵は父と似ている。
そのことを話したりしたことはないのだけれど、私と父は何となくお互いに好きな本と絵は似ている、と思っている。
バルビゾン派はフランスで活動した画家のグループで、自然の風景画を主に残している。有名なのはルソーや〈落穂ひろい〉のミレー、コローなどがいる。
描かれた木々や木漏れ日、素朴な農民や牛や羊に惹かれた。
息遣いのようなものが聞こえ、さらには干し草の匂いや水しぶきまで感じられる気がしてしまう。
私の思い出の中の光や風が、遠い昔のフランスの絵に詰まっているような気がするからなのか。
刈り終わった田畑にたたずむ夕暮れの農夫は、ふと顔を上げる。遠くから鐘の音が聴こえてくる。農夫は帽子をとり、頭を下げた。
空気が冷えこみ、土や草の匂いが濃くなってくる。どこかで牛の鳴く声も混ざり合い、農夫は一日が穏やかに終わろうとしていることを知る。

〈晩鐘〉は今でもまだ実家の応接室に飾ったままである。
なかなか大きいので母は文句を言っていたけれど、他に飾る場所もないので、そのままなのだろう。
今でもあの絵の前に立つと、同じように手を組み、頭を下げたくなってしまう。
祈りは国や人種を超えても、時代を超えても、変わらないものなのの一つなのかもしれない。
誰も見ていないところで、ひょっとすると父も同じことをしているんじゃないかと思ったりしている。

#エッセイ #コラム #ミレー   #2020年秋の美術・芸術

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