過去生の物語(7)
舞台はヨーロッパ。信心深い?海のゴロツキの物語。
雲ひとつない晴れた空がずっと続く。
青い空と、青い海、それしかない。
それしかないのに、十分満ち足りた気分になる。
心底自分には海が合っていると思う。地面に足をつけたのが何日前のことだったのか、忘れてしまった。
甲板にいるか、地面にいるかなんて、どうだっていい話だ。
「唄おうぜ!おい、唄うぞ!」
甲板をまわって仲間を起こす。だらだら寝てるんじゃない、こんなに素晴らしい日にもったいないだろ。
「うるせえな、お前が唄えばいいだろ」
乗り気じゃない奴なんて放っておく。俺は大きな声で唄う。海には俺の歌声だけが響いて、さらに爽快な気分になる。
唄え唄え!踊れ踊れ!
もっと楽しめよ!気持ちのいい日を満喫しないなんて、そんな残念な人生はない。
俺たちは、そこらへんでフラフラしている漁船を捕まえる。
漁師たちから奪えるものを奪う。うるさく歯向かう奴は海に落とせばいいんだ。
ひどいことをすると思うだろ。でも、よく考えてもみろ、海には俺たちみたいなゴロツキは必ずいるんだ。
それが嫌なら俺たちに負けないくらい強くなればいいだけだろ?ちがうかい?
強くなろうともしないで文句を言うのはおかしな話だ。
奪ったものを街で売る、金に換える。
その金で酒を飲み、遊び、干し肉を買ってまた船に戻る。
俺の暮らしはそんな感じだ
そんな俺でも信じているものがある。人?ちがう。人を完全に信用するのは、バカのやることだ。人はいろんなことを考える。
今日いい奴だと思ったのが、ほんの些細なこと、例えば誰かから聞いた噂話ひとつで俺を裏切ったりする。
その噂話が真実かそうでないかなんて関係なくだ。
俺だってそうだ。今日考えていることが、まるきり明日も同じかというと、そんなことない。人間は船くらい不安定な存在なんだ。
俺が信じているものは神だ。
ガキの頃からいろんな人に言われた。
「そんなことをしているとバチが当たるぞ」
バチってなんだ?悪いことや不運ってことか?だとしたら、俺にはバチが当たったことがない。それはいつも神に祈っているからだと思っている。“俺をお守りください”ってね。海が荒れても、風が吹いても、俺はいつだってちゃんと生きている。俺たちみたいな奴らに海で出会っても、やっぱりちゃんと生きている。
石ころみたいに、簡単に海に沈む奴だっているのに、俺だけは生きている。神が俺を生かしてくれているからだ。
その話をこの間酒場で会った、赤毛のブスな女にした。女は言った。
「今までがたまたま大丈夫だっただけよ。いつかバチが当たるんだわ」
じゃあ聞くが、神はなんで俺を生かしておくんだ?
「知らないわ、そんなこと、運がよかっただけよ。それよりあんた臭いわ」
運がいいのは、神のご加護じゃないのか?
俺にはそのブスの言うことが全く理解できなかった。
盗みをするし、臭いのに、なぜ神は俺の大事な命を奪わない?
それは俺が生きていたほうがいいって思っているからだろ?
酒場を出て宿に向かうときは、仲間と一緒には歩かない。
それはひとりの時間を楽しむためだ。
陽にさらされて、日焼けした服は、元の色が何色だったのかもわからないほどになっている。このシャツは何色だったんだっけ。
暗がりだとよけいに上から下まで全部同じ色に見えるな。
俺はとてもいい気分だ。
***END***
この物語のテーマは少し複雑です。禅問答みたいな話だからです。
彼の行動や考えることは誤りであるようで、誤りでなく、でも誤っている、と、ぐるぐる回るのです。
何が正しいのか、何が正しくないのか、それを考えるきっかけをこの物語は示していると思います。