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もう一度会いたい─「私が膝枕を求めた日」

合わせ鏡のような「反対側からの」物語

2021年5月31日からclubhouseで続いている短編小説「膝枕」とその派生作品を読みつなぐ朗読&二次創作リレー(通称「膝枕リレー」)が1周年を迎え、2022年5月30日からの1週間、文化祭気質な膝枕erたちが「膝枕リレー1周年記念フェス」(通称「膝フェス」)と銘打って、いつも以上に熱量の高い膝活動を繰り広げた。

clubhouseの「膝枕リレーclub」のページにreplay(アーカイブ)が残っている。

お膝しぶりの人がルームを開いたり、新作が続々誕生したり。膝フェス期間中に十篇ほどが加わった派生作品は、最終日に100篇を超えた。

フェス中にclubhouseで発表されて、まだ原稿が公開されていない作品もいくつかあり、その一つがこのnoteで公開する「私が膝枕を求めた日─膝枕の君に寄せて。」だ。

この作品は、活動弁士の縁寿(えんじゅ)さんが寄せてくれた実体験をほぼ忠実に「ある女優のインタビュー」としてわたしが潤色した「私が膝枕になった日」のアンサーストーリーでありエピソードゼロになっている。

※clubhouseなど公開の場での朗読許諾は、縁寿さんにお問い合わせください。

縁寿作「私が膝枕を求めた日─膝枕の君に寄せて。」

母は私がものごころついた時から、
既に仕事をしていた。
私は保育園に始まり、
ベビーシッターや学童保育にも
常にお世話になっていた。

私の家は決して貧しいわけではなく、
むしろ何不自由ないくらしだった。
両親共に仕事に熱心で、
同級生が羨む高級マンションに住んでいた。
「ハウスキーパーさん」という言葉を使ったら、
友達は誰もその意味を知らなかった。
自分の家に定期的に来る存在が、
他の家庭にはいないのだと悟った。

父も母も私への愛情が薄い訳ではなかった。
いわゆるひとりっ子の鍵っ子。
家にどんなに素敵なものや美味しいものが溢れていたとしても、
私のこころには常に寂しさが付きまとっていた。

私は母に甘えたことはない。
母にはいつも
「この子は本当に手のかからない子」と
常に言われていた気がする。
大人しくて無口。
自己主張などする気持ちもなく、
何か聞かれても
「特に」とか「別に」とかが常套句。

言っても仕方の無いことを口にして大人を困らせる、
そういった願望がまるで無い子どもだった。
今思うと自分で自分がわかっていなかったのだと思う。

あの日のあの出来事。
それはもしかしたら私がたった一度だけ、
大人に対して見せた「本音」だったのかもしれない。

記憶もおぼろげだが、たしか中学に上がる前の年
私は熱を出して学校を休んでいた。
土日にかけて高熱を出し、その時もやっぱり
「孝行娘はちゃんと親が休みの日に熱を出した」と、
嬉しくもない褒められ方をされたように思う。
けれど月曜になっても平熱には戻らず、学校は休んだ。
念のために母はベビーシッターさんを雇い、
ベビーと呼ぶには大きすぎる私の世話を頼んだ。

人見知りの私は、初対面のその女性の顔もよく見られなかった。
ぼんやりとした頭で彼女が
「何か食べる?」とか
「お水飲む!?」とかいう声に対して、
適当な返事を伝えて、うつらうつらしていた。
月曜の朝平熱に戻らなかった時、
こころの中でほんの少し期待が膨らんだ。
「母は今日も傍にいてくれるのではないか」と。
そんなささやかな淡い願望は、
叶えられたためしはなかったのに。
体温計の数字を見つめながら、
母は少し困ったような顔をしながらも、
「大丈夫よ!シッターさんを頼むからね。」と、
私の望みを打ち砕いたことも知らずに、
私に向かってそう通告した。

言ったらよかったの?
「行かないで!」って。
そう言ったら休んでくれた!?
そんな筈はないよね。
お金で解決出来る話よね。

ベビーシッターの女性は私のふとんの傍らに正座していた。
何かしきりに話しかけてくる女性の声に返事をしながら、
ぼんやりとした頭で、現実と夢との狭間で、
自分でもよく解らぬうちに、
私はその女性の膝に自分の頭を乗せた。
彼女は驚いていた。
たぶん。
顔を見られなかったけれど、
膝が、震えていた。
自分でもなぜそんな行動に出たのか、
今でも不思議でしかたがない。

なぜ膝に頭を乗せたのか!?
それは、
「そこに膝があったから。」
そうとしか言えない。
膝が欲しかった。
欲しかったのだ。

顔もよく見られぬ人の膝に頭を乗せてしまい、
ますます顔がみられなくなった。
けれど、
その膝の心地よかったこと!
具合が優れず、気持ちも晴れず、
何を食べる気持ちにも飲む気持ちにもなれぬ私が、
こんなにも求めたものは、
「膝枕」だったのだ。

自分で自分に驚くのと同時に、
こんなにも自分が自ら欲しいものがあったこと。
その感情に素直になれたこと。
嬉しいという感情に身を委ねる気持ちよさ!

「手に入れたらもう離すものか」と、
そこから彼女がトイレに行く間以外は、
夜までその膝をひとりじめした。
無論、母にそんな要求をした事は一度たりとてない。
私は初めて会った見ず知らずの人の膝に、
一日中酔いしれたのである。

次の日には平熱に戻り、
翌年には中学生となった私が、
その人と会ったのはその日だけ。
ありえない濃密な時間を過ごした事は、
大人しい女学生が
無口な大学生となる間に、
そんな事があったことすらおぼろげになった。

こころをあけすけに出来ぬ代わりに、
文章を書く事が何より得意となって、
私はライターと呼ばれる仕事についた。

様々な生き方をする人々にインタビューして、
その記事を雑誌に連載出来るようになった。
孤独な幼少期や自分がもの言えぬ性質(たち)が、
人の気持ちを汲んで話を聞きだし、
文字にする事を生業(なりわい)とする。
コンプレックスに感じていた事が武器になった経験は、
私に自信をつけさせ、大人へと成長させた。

今日はある女優へインタビューに行く。
様々な苦労の末に花開いた彼女の人生の中で、
「もう一度会いたい人」について聞くのだ。

もう一度会いたい人なんて、
私にはいないなと思って今日ふと思い出した。
「あの人」
もう一度会ってみたいなって。
自分に自信がもてた今なら、
顔を背けずに目をみて話せるだろう。
名も知らぬ「膝枕の君」に。

この作品に出会うために生まれた

私が膝枕になった日─ある女優のインタビュー」は、インタビューで「もう一度会いたい人」を問われた女優が、ベビーシッターでしのぎをやっていた頃に一度だけ訪問した家の少女に膝枕を求められた出来事を振り返りながら語る話。はっきりとは書いていないが、インタビュアーはかつての少女だ。

「私が膝枕になった日─膝枕の君に寄せて。」は、少女の側から見たその日のことを、大人になった現在から振り返る話。これからインタビューに向かうところ、つまり「膝枕の君」に会う手前で終わっている。

縁寿さんは当初つけた「私が膝枕を求めた日」というタイトルを後から「膝枕の君に寄せて。」に改めたのだが、わたしは、「私が膝枕になった日」と「私が膝枕を求めた日」の合わせ鏡感が捨てがたく、「私が膝枕を求めた日─膝枕の君に寄せて。」としてはどうでしょうと提案してみたところ、そうしましょうと言っていただけた。

ふたつのタイトルが揃ったところで「私が『膝枕』を求めた日」と表していた膝枕のカッコを外すことにした。わざわざカッコに納めなくても、膝枕という言葉は十分に立つ。

「私が膝枕を求めた日─ある女優のインタビュー」
「私が膝枕になった日─膝枕の君に寄せて。」

レコードのA面とB面のように、あわせて読むと、それぞれの物語が照らし合い、別なところに光が当たったり、影が落ちたりする。

膝枕リレー1周年記念フェス最終日前日の6月4日。「私が膝枕になった日」と二本立てで、最初に「私が膝枕になった日」を鈴木順子さんが、続いて「私が膝枕を求めた日」を縁寿さんが朗読した。

時系列でいうと、インタビュー前で終わっている「私が膝枕を求めた日」の後に「私が膝枕になった日」が来るのだが、原稿が先に公開された「なった日」に続いて「求めた日」を読まれたのが、とても良かった。

実際の少女が縁寿さんのことをどう思ったのか、今も覚えているのか、知る由もなく、縁寿さんが思い描いた「もしかしたら」の物語なのだが、縁寿さんの中で何十年も眠っていた記憶が掘り起こされ、この物語が生まれたこと、そこに至るまでの糸を手繰り寄せるようなこの一年を思い、胸が熱くなった。

「私が膝枕になった日」を鈴木順子さんに読んでもらった理由を、「私が読むと生々しすぎて」と縁寿さんは朗読を終えた感想会で語った。

clubhouseで以前読んだとき、途中でぷつりと中断し、そのまま再開することはなかった。電波が悪いのを理由にされていたたが、読み続けられなかったのだと今回のお話を聞いて腑に落ちた。

あのとき途切れたのは電波ではなく縁寿さんの気持ちだった。何十年経っても色褪せることなく濃縮された感情を呼び起こす。それほど縁寿さんにとっては忘れ得ぬ強烈な体験なのだ。

生きることは贈りものを贈りあうこと。お互いを面白がり、拍手と感想が通貨になってアイデアが複利で増えて膨らむようなclubhouse、特に膝枕リレーは、贈り贈られの循環がとてもうまく気持ちよくできている場所だとわたしは思っている。

「私が膝枕になった日」と「私が膝枕を求めた日」を分かち合えたルームは、その結晶のようだった。この作品に、この瞬間に出会うために膝枕リレーが始まり、続いてきたのではと思った。興奮冷めやらぬアフタートークも含めて、ぜひreplayを聞いて欲しい。

2022.8.4 鈴木順子さんの「私が膝枕になった日」に続いて堀部由加里さんが正式膝開き


目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。