膝はかすがい─夫婦膝枕
古典落語に膝入れした「膝枕」外伝「膝浜」を年の瀬ということで毎日のように誰かがClubhouseの膝枕リレーで読んでくれている。「芝浜」のサゲは「よそう。また夢になるといけねぇ」だが、「膝浜」では膝屋の久五郎が妻の膝に頭を預け、「ここは日本一の膝の浜」と惚気る。
そう言えば、「夫婦(めおと)膝枕」という外伝を書きかけたままになっていた。正調「膝枕」の商品ラインナップを見て、「この膝枕はどういう経緯で生まれたのか?」と開発秘話を想像して生まれた話。年が明ける前、「膝浜」が読まれているうちに公開することにした。
「夫婦膝枕」と「膝浜」をあわせて読むと、「歴史は繰り返す」感を味わえて、ふた組の夫婦がより愛おしく思える、かもしれない。
今井雅子作「夫婦膝枕」
夫婦(めおと)になったその日から、夫は夜毎、新妻を激しく求めた。
行為はときには数時間に及び、夫は天にも昇る気持ちで妻の白くふくよかな肌に沈み込み、そのまま眠りに落ちることもあった。
妻はみじろぎもせず、夫の重みを受け止めた。
休日の朝から求められることもあった。「奉仕活動」と妻は心の中で名づけ、耐えた。
夫は私と結婚したのではない。私のやわらかな下半身と結婚したのだ。
誰か私の代わりを務めてくれないだろうか。
誰か。
誰か。
誰か。
ある日、妻はある広告を目に留めた。すぐさま問い合わせの電話を入れ、その会社を訪ねた。
ひと月後。
宅配便の荷物が届いた。ダンボール箱に貼られた伝票には「枕」と書かれていた。
「枕」
妻の声が喜びにうち震えた。届いたのは、膝枕だった。妻の膝を型取りし、肌の質感や弾力を再現し、生身の膝そっくりに作られた、白くふくよかな膝枕だ。
「これを私だと思って」
代替品をあてがわれた夫は不満そうだったが、渋々頭を預けてみると、慣れ親しんだ妻の膝の感触と沈み込みそのものだった。
夫はたちまち作りものの膝に溺れた。
夜毎の奉仕活動から解放され、妻は体が空いた。だが、やることはなかった。自由を持て余した妻は、夫を独り占めしている膝枕に嫉妬した。
「私という膝がありながら。そんなに他の膝がいいの?」
元はと言えば、自分の膝だ。自分で自分に居場所を奪われるとは、余計に腹立たしい。
妻は、夫が仕事に出かけている間、作りものの膝枕にそっと頭を預けてみた。あっと思わず息が漏れた。マシュマロのようにふんわりと受け止められ、包み込まれ、妻はそのまま眠りに落ちた。
帰宅した夫が目にしたのは、膝枕に身をゆだね、寝息を立てる妻の姿だった。夫は激しい嫉妬に駆られた。
夫の気配に目を覚ました妻は、あわてて体を起こしたが、夫の唇はわなわなと震えていた。
「ごめんなさい。どんな感じなのか、試してみたくて」
「俺という膝がありながら」
「え?」
「俺の膝に来ればいいじゃないか」
「いいの?」
夫はうなずき、膝を差し出した。
ゆっくりと妻の頭が傾き、夫の膝に受け止められる。その瞬間、夫はかつて味わったことのない恍惚感を覚えた。
誰かに頭を預けられるのが、これほど温かく、うれしいものなのか。膝枕は買えるが、このよろこびは買えない。プライスレスだ。
夫婦は互いに膝枕を交わすようになった。作りものの膝枕は必要なくなった。届いたときに入っていた箱に納められ、押し入れに追いやられた。
この膝枕をどうしたものか。
保証書を見ると、「万が一ご不要になった場合は、着払いにて返品を受け付けます」と書かれていた。
数日後、妻の膝そっくりな作りものの膝は、膝枕カンパニーに返された。
この膝枕をどうしたものか。
早速会議が開かれた。
《体脂肪40パーセント、やみつきの沈み込みを約束するぽっちゃり膝枕》
膝枕の名前と売り出しの文句が決まった。注文生産で売り出したところ、思わぬ需要があり、13万台を超えるベストセラーとなった。
「なお、返品された場合は、膝の肖像財産権を放棄したものとみなします」
保証書の隅に肉眼で読めないほどの小さな文字でそう書かれていることを夫も妻も知らない。
権利を主張できれば、多額の使用料が転がり込んだかもしれないが、そんなことはどうでも良かった。
夫婦は満たされていた。
この膝があれば、何もいらない。
clubhouse朗読をreplayで
2022.5.25 鈴蘭さん
2022.6.5 日浦弘子さん(膝番号112)
2022.11.5 鈴蘭さん
2023.3.24 鈴蘭さん
目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。