子供の「勉強」って何?

今春高校を卒業して、就職した息子が、つい最近いきなり文章の書き方を教えてと相談をしてきた。このような相談は母親としてうれしかったが、高校生までの息子からすると想像もできない出来事が起こるんだとビックリしている。

つい最近息子のことをこう表現したことがある。

「高校3年間1分も勉強しなかった。」

いわゆる「学校の勉強」は1分もしなかった。通信制の高校だったので課題を出さなければ卒業ができない。でも彼は、「こなした」だけで知識を身に付けるというような「勉強」は全くしなかった。関心することではないが、本当に見事にしなかった。このとき私の言葉として出る「勉強」って「学校の勉強」なんだと気が付いた。

子育て中の母親は、子どもが勉強しないと不安になる。「勉強しなさい」という口癖は当たり前の世界。でもその「勉強」は学校の勉強。母親は机に向かって学校の勉強をしていると安心なのである。私も息子が小学校のころまでは同じ気持ちであった。

息子は、中学にに上がったころから、「学校の勉強」は徐々にしなくなった。できなくなったというのが正しいのか…「学校の勉強」をしていなければ普通の高校に合格するわけもなく、担任の先生の勧めで通信制の高校へ。

不安を通り越して学校の勉強はあきらめと変わっていった。

「勉強」という言葉をネット上の辞書で調べてみた。「学問や技芸を学ぶこと」「物事に精を出すこと」「経験を積むこと」とある。「学問」とは「学び習うこと。学校へ通ったり、先生についたり、本を読んだりして、新しい知識を学習すること。また、身につけた知識。」とある。

振りかえると、息子は中学の後半から高校3年間にかけて「物事に精を出し」「経験を積むこと」で「生きるための勉強」は、ものすごくやっていた。

中学の時は「ヒッチハイク」。車に乗せてもらうための「交渉」、話かける「勇気」が必要だ。怪しい中坊に心許してくれる大人は少なく、失敗を繰り返し、工夫を重ね、交渉に応じてくれる「安全な人」「車種」を見出し、目的地にたどり着けた。このころから大人と対等に話ができるようになってきたように思う。

高校の時はガソリンスタンドでの「バイト」。オイル交換やタイヤ交換の営業ノルマを達成するためにやはり、失敗と工夫を繰り返し自分なりの営業手法を見出し、東京都店舗全体で3位や2位などになった。営業の適正など親にはわからないものである。のちに営業成績が認められ高校生でバイトリーダーとなり、自分より年上の人たちを束ねた。

そして今は、宮城県石巻市で漁師をしている。漁師の今をブログに書きたいという。「学校の勉強」をやってきていない息子が「文章を書く」と言い出し相談されるも、答えに困った。本人も同じ思いで、勉強してこなかったことで文章が書けないと思い込んでいる。「国語」の勉強はほぼできていない。事細かに言ってもきっとわからない。ということで、これまで彼がしてきた「経験を積む」という切り口で、「下手でもいいから思ったこと書いてみな」「やってみることが大事」と言って背中を押してみた。

結果、その日のうちにブログアップしていた。全然変な文章じゃない。ほめてあげた。ひょんなことから、このブログを読んだ知り合いから「魅力的な文章」という評価を受けた。このときいろんな気づきがあった。

恥ずかしながら今頃になって、私自身が子どもの「勉強」は、「学校の勉強」と凝り固まっていたことに気が付いた。そして「学校の勉強」はしたいと思った時に方法を変えていつでもできるんだということも気が付いた。

私自身が、全くと言っていいほど学校で学んでいない息子に育ててしまったという劣等感みたいなものがあり、無意識のうち「高校3年間1分も勉強しなかった」という表現に結びついたということに気が付いた。

一方で、いろんなところで勉強してるし、これからも学びたいことがきっとたくさん出てくるんだということ。「勉強」は年齢は関係ない、後戻りしても構わない。学ぶ気持ちになったときに精いっぱいサポートすることが大事なんだと改めて思った。

息子の勉強スタイルは、やってみるという行動力、失敗にめげない、失敗から工夫をすること。順番はぐちゃぐちゃだけど、やってみたいという興味関心が続く限り勉強はし続けられるんだという結論に達した。

大人育てはまだまだ続く。








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