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一年前には見えなかった景色

闘病中(という言葉はあまり使いたくないけれど)抗がん剤治療で引きこもっていた時期に、お守りを2ついただいた。

そのうちの1つをくださった方と、横浜成田山へお礼参りに。約束した日、たまたま御護摩というご祈祷(真言密教の行事)があった。1本500円の護摩木(白木のお札)に願いを込めて住所と名前を書き、炎で炊き上げていただく。私は「御禮(お礼)」と「身体健全」の2本をチョイス。
僧侶たちの声が素敵で、お経(御真言)が何かの音楽のように聞こえた。不思議と落ち着く。お守りをいただくという事態にならなかったら、来ることがなかったかもしれない空間で、一年前に夢見ていた時間を味わった。

本堂は撮影NGなので。お香の煙もかぶってきた。

病名を伝えることの難しさ

「がん」という言葉の重みったら…
もう死ぬんじゃないか、治らないんじゃないか、というイメージが持つ破壊力が半端ない。

「卵巣癌疑い」で手術の後、病名が「卵巣癌」と確定したとき、家族のつぎに、いとこや叔母にLINEで報告した。
がんは遺伝性のものもあるとは聞いたことがあったが、検査で問診のたびに親族(血縁)のがん履歴をたずねられるから信憑性を増していく。
かくいう私も、父・肺がん、母・大腸がんのサラブレッドだし(うれしくない)。とにかく「もし今後、なにか不調を感じたときには、ちゃんと病院に行ってね」ということを、まずは血のつながった人たちに伝えておきたかった。
スマホの画面越しにも、驚きと動揺が伝わる返信が続いた。

「がん」だと話すと、数秒固まる

友達には、基本的には直接会えたときに話したかった。いとこからの超ロングLINE返信で、こちらの姿や状況が見えないことでより心配をかけるなと思ったから。退院後、抗がん剤治療が始まる前に大急ぎで何人かと会う調整をした。
調整が叶わず、手術のことを知らせていた親友にだけLINEした(これまた動揺が伝わる長い返信が来た)。

入院して手術をして臓器を取った、って話で十分お腹はいっぱいなのに
その結果わかった病名を話すと、だれもが数秒、固まる。。当然だ。
「でも治るんだよね?」と泣いてくれた人もいた。

がんサラブレッドの私は、自分が「がん」という病名に対して、少し鈍感になっていたのかもしれない……と気付いた。最初に身内ががんだと聞いたときに受けた驚きとショックを、私は忘れていた。「がん」という言葉に麻痺して、免疫がついていた(自分事を落ち着いて受け止めるための、気づかぬうちの対処法だったのかもしれない)。

でも、多くの人は違う。少し反省して、むやみに病名を言わないことに決めた。

病名にはふれず、最低限の事実だけ伝える

仕事形態はフリーランスなので勤務先にあれこれ報告する必要はないが、予定していた先の予定をキャンセルしたり調整したりしているので、仕事相手に事情説明が必要だ。だからといって、病名を伝えることはかなりプライベートな個人情報。「〇歳の子を育てています」とはわけが違う。それに「がん」なんて言ったらきっと引かれる……。

悩みに悩んで、「がん」という病名だけ伏せて、ほかはありのままを伝えることにした。

  • 何年も経過観察をしていた病状が悪化し、手術することになった

  • その後の検査で、術後もさらに治療が必要だということになった

  • これから半年ほど、投薬治療を受ける

  • その薬の副作用で免疫が下がるらしい

  • まだコロナも流行っているという事情から、人ごみ外出へのドクターストップがかかった

対面での仕事やそのほかのあれこれは、このように説明してお断り・欠席連絡をしていった。

察してくれる人のあたたかさ

ところがこの状況説明だけで、わかる人にはわかる、ということがわかった。身近に抗がん剤治療をしている人や経験者がいると、察しがつくようだ。


仕事関係のAさんは、メールのやりとりでいつも体調を気づかい、心配してくれた。どうやらお母様も抗がん剤治療中だそう。副作用のキツさを、そばで見て感じているようだ。「調子がよければビールも飲めるのに、ダメな時期はまったくダメ」と理解を示してくださり、仕事に関しては無理のないスケジュールを組み、究極は納期を設定せずにでき次第くれればOK!というありがたすぎるご依頼をしてくれた(涙)。
外に出向かなければならない仕事はすべて断っていたため、不安でいっぱいになってもおかしくない時期。でも、自分のペースで無理なく取り組める仕事があることは「治療後に戻る場所がある」と思えて救われた。

ママ友Bさんは、私が通院している病院から察しがついたようだ(地域がん診療連携拠点病院になっている)
同居のお母様が、私と同じ病院で治療した経験があるという。
薬が合わずに副作用がひどいこと、薬が変更になったことなどを(病名は一度も言ってないけど)何かの連絡のついでにLINEでぼやいたとき
「うちのおかんもそうだった」「経験した人にしかこの辛さはわからない…とおかんが言っている」と教えてくれた。
そしてそのお母様、会ったこともなかった私(=孫娘の友達のママ)のために、旅先で健康祈願のお守りを買ってきてくれたのだ。
同じキツイ体験をした者同士の不思議な連帯感を私も感じたし、きっと感じてくれたのだろう。すぐにでもお会いして、直接お礼を伝えて、ねぎらいあいたい気持ちになった(それが叶ったのは数カ月後)。

前前前職の先輩Cさんから、あるとき差し入れが届いた。コロナ禍に入って以来、もう何年もご無沙汰している。共通の友人である元同僚から、私の状況をなんとなく聞いたのだという。同封されていたのは、冒頭のお寺のお守りたち。
Cさん、じつはお寺でアルバイトしていたことがあるそうで、やたらと内情に詳しい(笑)。「一番人気」とか「ご信徒さんに人気」とかの情報をユーモアたっぷりに織り交ぜながら、ものすごくご利益ありそうなお守りについて説明している手紙の行間から、心配してくれている気持ちがあふれていたから、泣いた。
社会復帰したら、絶対にお礼参りに行きます!と誓った。

(御朱印の右)事故・病気・その他あらゆる災いから守ってくれるという一番人気の「身代守」。千葉の成田山本山で江戸時代から人気で、お財布の中に入れて持ち歩くのがオススメだそう。
(右下)黒くてふわふわで、握りしめていると願いが叶うとご信徒さんたちの間で話題のお守り。

すべてはぐるっとつながっている、のかもしれない

大きな病気を経験したことで、それまで見えなかった景色が見える、
きっと今後の人生に生きる……などとよく言われる。
たぶん本当だし、そうやって慰めてくれる気持ちがうれしいから
「そうですねー」と笑って答えておくが、「いやいや、しなくていい経験はしないほうがいいに決まってる」と心の中でツッコミ入れていた。

でも最近になって、「こういうことだったのかな」「これもあのおかげで今こうなっているのかな」と感じることができるようになってきた。

誰とも会えずに引きこもって、キツイ治療に耐えていた時間があったからこそ出会えた人、わかり合えた人、もっとなかよくなれた人たちがいる。
誰かのやさしさに触れたとき、会いたかった人と再会できたとき、行きたかった場所に行けたときの喜びや楽しさは、何倍にも膨らむ。

そして、誰かがつらい思いをしていたら、自分事のように思い出して少しだけ寄り添うことができるようになったんじゃないかと思う。
そう思えるようになるには、少しだけ時間がかかったけれど。

人生100年(…まで生きられるのは限られた人だけとは思うけれど)
その半分の50歳の節目に襲った大きな体験は
私がレベルアップするために、いま置かれている場所にたどり着くための必然だったのかもしれない。

行きたい場所に行くために、これからどんな体験をするのかな。
なにをするにも、健康あってこそ。


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