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コロナ禍の「恐怖」を個人的に整理する

今朝Twitterで連ツイしたものをそのままつなげて記事にします(初めての取り組み)。画像や参考リンクなどは補います。

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PCR陽性者と疾患の発症者が完全に一緒くたな扱いなのはどう考えてもおかしいのですが、物事は単純化されて拡散され、演出された恐怖に同調していくのを好むのが人間社会だということを改めて感じます。

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▲東京都新型コロナウイルス感染症対策サイト、2020/8/5付表示よりスクリーンショット作成

おそらくあと2年も経てばすべてなかったことになっていくのだと思うので個人的にはなんでもいいですが。1918-1920年のスペイン風邪はおよそ3年続き、38万人が亡くなったそうですが、今回コロナウイルスが流行るまでほとんどその経験には着目されなかったですし。

真に科学的な観点からすると、オリンピックも延期する必要はなかったでしょうね。しかし人間社会の恐怖と圧力によって、開催することは許されなかった。仮にこの恐怖と圧力が来年も変わらなければ、開催は不可能でしょう。COVID-19の医科学的な対応進展には、ほとんど関係がなく。

ウイルス流行による社会的な進展があったことは確かです。想像以上、実態以上に人が恐怖し、ならび「3密」概念が発明され普及したことで、社会での過剰な混雑、一番は満員電車が減りました。会社に行くことではなく、技術を使って成果を出すことが仕事の本質だと、漸く議論されるようになりました。

ほか、経済活動の減少による空気汚染の改善や、エネルギー使用量の低下といった、環境面での結果的な好影響が観測されたことは重要です。また、日本ではウイルス流行以後の自殺者が例年より減ったデータもあります。既存社会がもたらしていた精神的苦痛が、強制的変化により一時的とはいえ抑えられた。

一方で、過剰な恐怖の蔓延により、観光、外食、移動、に関する業種など、いくつかの産業群は壊滅的被害をもたらしました。また、恐怖による移動自粛は、大都市対地方社会の摩擦を改めて浮き彫りにしました。ウイルスではなく、人間心理の伝播が、産業や地域に大きなダメージを与えたと考えています。

しかしすべての産業が打撃を受けたわけではありません。情報通信技術関連など、コロナ禍が追い風になった業種、企業も少なくない。これは1950年代の朝鮮戦争と日本の関係に通じます。戦争は悲劇ですが、隣国の戦争により発生した特需によって、敗戦で壊滅的だった日本経済は息を吹き返した。

結論。COVID-19が改めて明らかにしたことは、「最も恐ろしいものは、人間の恐怖である」。疾病リスクはいずれ制御できる。これは歴史が証明しています。しかし個人の恐怖、それが連なる社会的な恐怖と、そこに起因する行動は決して制御できません。合理的に見れば愚かでも、人は合理では動けない。

ダニエル・カーネマンら行動経済学者たちが明らかにしてきた「合理的経済人という幻想」とつなげて考えると、納得がいきます。私達はほとんどすべて直感で決めている。恐怖はとても強く直感に影響を与える。動物としての進化の影響が極めて大きい。人間は恐怖の排除と、安心を過剰に追求する。

少なくとも私個人という単位で見れば、これまで述べてきた「恐怖」が王様になる世の流れに抗うことで得られるものはほとんどないでしょう。ただ、それはわかっていつつも、自分の思考だけは決して手放したくない。少なくともそれが、今はっきりと願う、数少ないことです。

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以上。

元の最終ツイート


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