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週間レビュー(2024_1_14)_お気持ちな議論をやめて、素早く形を作ろう


▪️1月8日

昨夜は深夜までよく飲んだ。これからのこと、この先のことは不安になることは多々あるが率直に話せる友人は大切だなと思った。しかしお金は使いすぎたなあ…起きてからは二日酔いであまり作業はできずだったが、色々なベースのリサーチを進めたり、卒制の作業を進めたりした。研究室初日で久々に会った友人たちがたくさんいてよかった。最近宇宙兄弟を改めてみているが学びになることが多い。夢を追う話ではあるが、その過程における人間的な気づきや努力や個性について示唆深い瞬間が多い。現実にフィードバックしやすいアニメなので良いなと思う。疲れが取れなかったので、できなかったタスクを明日に持ち越して早めに寝ることにした。

▪️1月9日

早朝4時に起きてから今日の大事なミーティングに向けて資料作成を進める。夜中に踏ん張ってノロノロと作業をするよりも一旦寝てから作業した方が明らかに効率が良いし、発想が豊かなのを感じる。そのままの足で、日建設計に作品の搬入をして色々と交渉をする。新年一発目から素敵なクライアントがいることは積み上げてきたこともそうだけど、嬉しいことだなと思った。次は年末に調整した饗庭先生へ相談会議、色々と都市計画手法や再開発、そしてAI等の活用方法についてアドバイスをもらい、かなりクリアになった。特に設計提案においてゾーニング等の議論ではなく生活景が垣間見える画像を伴った状態でどう決めていくのかを市民で考えていくことが重要な時、生成AIがディティールの画像やイメージ等を高速で出力できることは市民の計画への参画の障壁を下げる大きな技術になり得る。饗庭先生の本はまだ「都市をたたむ」しか読んだことがなかったが、平成都市計画史を読み始めてかなり面白い。2月末に行うEUへの調査もなんとな進みそうである。あとは、「不定住」のpodcastを夜中に収録してみて、3人での初めての対談だったが良いものを取れた。やはり対談は気持ち良いなと思うし、自ら考えるテーマを決めて、仕掛けている人たちと共に何かしら進めていくのは楽しいことだな。今日は早朝に起きてあれもこれもやらねば、行かねば、話さねば〜と走り抜けて最終電車で帰宅する感じで新年が始まったが、色々なエンジンが動き出していて、2024年が楽しみになれているし、夜中に気持ちよい疲れ方が出来てると実感ができて幸せな初日だった。疲れすぎて、ご飯を食べてそのまま寝てしまった。

▪️1月10日

朝起きて、夜中まで母が徹夜で経営資料を作成していたのを横目で見つつ、実家から大学に向かう。講義はいつも精神を消費するな。みんな並んで座ってずっと話を聞くのがやはり向いてないし、よく話を聞き、集中力を落とさないのが凄いなと思う。しかしテストはどうにかしないといけないので頑張らねばならない(再来週)。研究室で雑談をしつつ、アップサイクル系のワークショップの企画会議に呼ばれて大手町まで向かった。やはり大手町は苦手かもしれない。あのエリアの感じがあまり肌に合わないのを感じてしまうし、仕事をしつつも、どうでもいいなあ〜と思いながらも会話を進めたり笑い合うのが苦手だし、話し始めで意気投合するか、考えに深さがあるのかとかが、ある程度でわかる。なので、飽きてきたら全力で自分の考えをぶつけたりして反応を見たり、業界人のような顔をしている年上には、その業界に対して切り込んだ問いを投げてみる。返ってきた回答を全部養分にしてしまおう、盗み取ってしまおうということにしている。そうすると人と話すことが楽しいという認識に変わる知恵である。大学生は複雑なPMをできないのだなと感じることが多々ある。プロジェクトを動かす、作る、ディレクションする、クオリティを持って納品する経験が苦手なよう。おそらく、バイトなどは設計された事業フレームの中で働くことだから、それを続けていてもそのスキルセットは育たないのでずっと文化祭のレベルになってしまうか、圧倒的な個人主義になる、そして他責的な思考に陥る。金銭報酬でしか行動対価を認められず、経験対価や共感により全力で動くみたいな回路が弱い。だから教授はめっちゃ大変なんだろうな〜と思う(パワハラと呼ばれちゃうのだから…)というか、むしろ自分がその側面が強すぎるのだろうか、非営利を長くしてきたことの特性のような気もしなくはない。チームで何かを作り切ることは頭脳ではなくて経験量に比例するんだなあともう時、凡人はチームで挑んだらある程度の知能に対して立ち向かえるのだろうと思う。そんなことを思いながら、バスで帰宅した。

▪️1月11日

昨日の夜に赤木ファイルを見た。歴史を学みとして、歴史改竄については学んだことがあるし、例えば実測や村落調査などでも事実や事物を見つめてどのように可能性を考えれるかをしている。決して実測を欺いたり、嘘の言説を引用することなどしない。そのようにせねば歴史というものは意味をなさなくなることを知っていたので、この改竄については非常に複雑な気持ちを持った。そして、認諾によってこの件事態が葬られていたことも知らなかった。まあメディアを通しての認識だからその真相はわからない。しかし、自分の住むこの国はやはり異常だなあと思わざるを得ないきっかけになったと思う。あとは寸分の時間もなく、会議+資料作成+作業でヘトヘトになって寝た。

▪️1月12日

朝は、定例会予定がずれておりリリースとなった。そのままゼネコンとのmtgへ向かう。危機や課題の認識というのはどうも上層部になると薄れていくものなのだろうなと思う。そしてそれは、顕著に行動の瞬発力に現れる。創発的な課題意識か、または論理的な課題意識かでは行動に与える影響力が全然異なるのだと思う。難しいのは、我々の交渉先が論理的な課題意識を保有しており、基本的には「委託」のスタンスしかとらないこと(もちろんそのような企業だけではないけれど)。一緒に考えて伴走しながら課題意識や問題意識を深ぼっていくことのできる存在は極めて少ないし、創発的なアイデア等に対して動きが遅い。共感してもらえる企業だけでも巻き込んで進めていく、形にしていくしかないのだと思うな。夜は昔のチームで新年会をした、数時間でも仲良く話せるのは本当にいいことだな。

▪️1月13日

午前中は渋谷QWSへ、その後大学に戻って資料を作りつつ、須藤が登壇していた早稲田のシンポジウムに顔を出した。全体的にプレゼンが長く、そして技術的展開が多かった(そしてそれらもそこまで新しくない)のでそこまで盛り上がらなかったが、稲門建築会の様子をよく知ることができたのかもしれない。司会が煽り口調で講評者的スタンスだとどうしようもなく冷めるのだなと思った。技術が面白くても、やはり場所や空間、設計が弱いと面白くないのである、やはり粛々と形を形成しデザインていくという行為は必要なのである。それを手放した時、情報は宙に舞い、そして行き場を失う。にしても作らないといけない資料やPMなど溜まりに溜まっていてあまり余裕がない。

▪️1月14日

早朝に起きて資料を作る。施工タイムラインの資料など自分が作る必要あるのか?15分でできるものをあえて投げなくてもいいのでは自分で進めて仕舞えばいいのでは?と思いつつもとにかく作る笑PMは楽をする人ではなくて一番働く人なんだよと思いながらも、とにかく文句を言わずにやる。卒業設計は全く逆の事象でやはりデザインや建築が題材だと譲れぬものも大きい。特に思想的なものや美学を複数人に否定されるともう一緒にチームになることを諦めるのだなと、そういうスタンスが自分の中にあるなと思う。意匠のその軽率で歴史的にも進化のないデザインに碧碧としてしまう。まずはコンペでも実作でも1つ2つ日本一か助成金でも獲得してから意見してほしいし、成果がないのにお仲間同士で称え合っていてもしょうがないだろうと思う。普段、アトリエの実務の人やデザイナーなどと仕事しているからというものあるのかな。学校のチームではなくクラブチームを選んでサッカーをしていたように、レベルのズレを確認できたのは、長く大学にいるべきではない明確な理由だと思う。まあでも「うるさい、外野は黙っていて」の気持ちで制作したほうがいいものができることはあるのでその気持ちで卒業設計やろうと思う。3月までには自分の作品にする。

赤羽のワークショップはとても良い時間だった。高齢者と若者、そして赤羽の地元企業の方と一緒にアイデアブレストから具体的な画像(我々は未来の写真と呼ぶ)を作成して発表をすることまでをすることができた。50名程度参加しており、これは明確に新たな生成AI×ユースケースであると言えると思う。(世界初ではないかな?)

技術とは道具である。どんな高度な技術も所詮は人が使う道具なのであり、それは生成AIとて同じだと思っている。技術発展やエンジニアリング的な視野を狭めながらも高度になるものももちろんあるが、しかし、それを以下に社会的に転用させるのか、社会実装にトライするのかをせねばならないし、アカデミアで話し続けていても意味はない。どれだけ、研究者やエンジニア、デザイナーが自ら足を動かしてその実装にトライするかだと思う。今回は身近なサポーターがファシリテーションなどを沢山手伝ってくれた、ありがとうございました。

ワークショップの風景、生成AIを使える若手と赤羽の地域住民の方が集まって案を作成。
27のアイデアが画像付きで生まれた。
12/25に火事になってしまったシルクロードの店舗。まだ焦げ臭い香りがしていた。


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