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生と死

我が家の裏手にあるマンションで、先月、独居の男性が亡くなった。

ある日突然、重装備の消防士さんと梯子車がやってきて、3階に住んでいた彼の遺体を救出した。

急死だった彼の遺体は、真夏だったこともあり、発見の時点である程度腐敗が進んでいた。

同じマンションの住人は、遺体が運び出された後も残った臭いに大いに苦しめられていたらしい。

けれど、警察が探しても彼の親族は見つからず、分譲だったために個人の所有物を誰かが勝手に脱臭するわけにもいかず、腐敗臭はまだまだこの一角に残り続けている。

エアコンなしでもしのげる暑さになり、窓を開ける生活をするようになったことで、我が家にも否応なく腐敗臭は届くようになった。

そしてしみじみ思った。ひとりで生きていると思ってても、人は必ず死ぬときには人にお世話になるし、その後も必ず人の手を借りることになる。

ひとりだ!とイキってても、結局ひとりでは終われないのが人生なのだ、と。

また、どんなに着飾ろうとも、知識や経験を積み重ねようとも、私たちの肉体は、死ねばただの有機物だ。

火地風水によって腐敗し、大地に帰るという事実から誰も逃れられないのだ。

死というものは、なんかもう、イキってる人間どもをギャフンと言わせるためのアルティメットウエポンだなと強く思った。

幸い、我が家は窓の開け方の工夫で今は腐敗臭から逃れられている。

風がまたひとつ、浄化をもたらす。

でもその前に親族さんが見つかって、なんとかならんもんかと思う最近のご近所問題。

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