【いのち図書館】 不育症は「私はどう生きるか」を問うチャンスだった
不妊症は聞くけれど、「不育症」ってどんなもの?そんな素朴な疑問を、死産・流産の経験者である中西明子さんにぶつけてみました。当事者にもまわりの人々にもタブー視されがちで、軽々に触れてはいけないことと思われがちな死産・流産の経験ですが、明子さんはそこから得たものが多くあったと明るく語ります。
(取材日:2019年06月20日 執筆者:鯨井啓子)
■自分は「不育症」だと知ったときのこと
■「私はどうしたいのか」という意思を持つ
■大事なのは「どう生きるか」
自分は「不育症」だと知ったときのこと
ー今までの経験を教えてください
29歳のときに妊娠をし、38週で死産を経験しました。それはちょうど私の30歳の誕生日のこと。死産という形でしたが、赤ちゃんはそんな日に私のもとにやって来てくれました。その後、33歳から5回ほど流産を経験。この5回は、妊娠初期でいちばん流産の多い週数の6~9週くらいまでに起こりました。その後、無事に女の子を授かり3年が経ちました。
―「不育症」を知ったのはいつのことですか?
死産を一度経験したのち、妊娠初期での流産が2回ほど続いたころのことです。死産、流産という経験が続き、「これは一体なんなんだろう!?」と思っていろいろと調べているうちに、妊娠はするものの流産してしまうという経験が2回続くと、『不育症』とカテゴライズされることを知りました。その後、通院していた産婦人科クリニックで簡易的な検査を行いました。特に問題はないという結果が出たのですが、岡山大学病院が不育症研究で有名だということを知り、診てもらうことにしました。
―病院ではどんなことをしましたか?
まずは検査をしたのですが、私の場合これといった原因が見つからなかったので、月に一度通院して、血液がサラサラになる成分を含む小児用のバファリンを処方してもらい、飲んでいたくらいです。もともとエコーの販売をしている医療機器メーカーに臨床検査技師として勤務していたので、日々最新鋭の機器に触れ、医療の知識もあった。胎児の奇形とかに関しても詳しかったんです。検査は自分でできないから先生にしてもらう。でも、すべて先生任せにしないで自分でもしっかりデータ分析する。分からないところを教えてもらう。病院とはそういう付き合い方をしていました。
―自分を責めることはありませんでしたか?
まったくありませんでした。医療の知識を持っていたので、5人にひとりは流産を経験するし、それは決してお母さんが何かをしたせいで起こるわけでもないことを知っていたからです。確かに流産は悲しいです。けれど、それが悪いことだと自分で決めつけてしまうと、どんどん苦しくなってしまう。悲しい感情は感情として味わうけど、出来事は出来事としてシンプルに受け止める。私はそうやって流産の経験と向き合いました。まわりがいろいろ言うことに対しては、傷つくことはないけど「うるせえなぁ!」と思ってましたね(笑)。流産を経験した方の中には、自分の悲しさを聞いてほしいという方もいらっしゃるようですが、私はまわりに余計な気を遣わせるのが嫌なので、友達はもちろん、両親にも流産の話は全然しなかったんです。職場でなにか言われても、意に介さずサラッと流していました。ただ今振り返ると、誰かに聞いてもらうことで問題は解決しなくとも整理できたりすっきりしたりする事もある。だから、誰か話せる人がそばにいてくれたらよかったなとも思います。
「私はどうしたいのか」という意思を持つ
―どのように妊活に取り組みましたか?
いちばん大きかったのは、自分自身の感覚やまわりの空気など、目に見えないものも否定せずに受け入れるようにしたことです。小さなころからとても感覚が強かったのに、いつしかそれを無意識に封印し、データだけを尊重するようになっていた自分がいました。30歳で長男の死産を経験しましたが、出産後、その顔をボーっと見ていたら、「全て愛なんだ!宇宙は愛で出来ている!」ということが突然体感として理解できるようになったんです。流産や死産というと、まわりの人たちにとっても触れづらい内容だし、当事者もあまり体験を語らない。けれど、息子を授かったことが私に与えた影響はものすごく大きくて、そこから新しい人生が始まったとすら思えるほどでした。彼が私のところに愛を教えに来てくれたと感じたし、その感覚を大事に受け止めてみたら、どんなデータよりもその解釈がいちばんしっくり来るなと思えた。この、感覚をしっかりと味わって大切にするというプロセスのおかげで「自分はどうしたいのか」がどんどん明確になって、その後の流産の経験の中でも役に立ちました。
―自分の意思を持つことは、妊活でも大切なことですか?
そう思います。たとえば不妊治療でも、経済的な制約や時間的な制約もあって、「40歳になったらやめる」とか「何回やったらやめる」とか、やめ時は自分で決めないといけない。先生の言ったことを鵜呑みにするのではなく、最終的には自分で決めないと、人のせいにしてしまったことで精神的にもっと苦しくなると思います。
―妊活中にほかに大切にしたことを教えてください
自分の日々の生活をちゃんとすることです。先生はデータから治療法を決める。それもとても重要だけど、普段からストレスを溜めない考え方ができるか、食生活に気を付けているか、身体のメンテナンスをできているのかも大事だと思います。それまで私は自分でもなんとなく「50くらいでぽっくり死ぬだろうな」と思っていて(笑)。医療系の仕事をしていたのに、自分の身体は全然大事にしてこなかったんですね。自分の身体を大事にしないと、赤ちゃんもなかなか大きくなれない。だからやっぱり身体が資本だ!ということに気が付いて、食事や運動にも気を付けて、鍼灸や漢方など、いいなと思ったものを積極的に生活に取り入れるようになりました。
流産や死産の経験のおかげで、私は自分の身体を大事にできるようになり、最終的には「これで私、長生きできるんじゃないかな!?」と感じられるくらいになった。そして、ただひたすらに「今」を楽しく過ごしてたら、のちに無事に誕生することになる娘が私のおなかに来てくれました。死産・流産は決してマイナスな側面だけを持つ経験ではなかったと思っています。むしろこの経験のおかげで私は、日々幸せに生きられるようになりました。感謝しかありません!
大事なのは「どう生きるか」
―感覚はどんな風に役立ちましたか?
流産の時には、授かってもなんとなく「今回はダメだな」みたいなことを感覚的に感じていたんですけど、娘を授かった時には「これイケる!」と思いました。死産や流産を経験すると、「産むまで心配」ということをよく聞きます。でも、自分では「イケる!」と感じたし、なるようにしからならいのだから、心配してもしょうがない!この経験を楽しもう!と。それは自分の感覚を尊重したからこそ決まった覚悟だと思います。娘が生まれてくるまでの時間も、夫と一緒に子連れではいけないような宿に泊まったり、大好きなお寿司屋さんに行ったりと、できるだけ楽しく過ごしました。
―旦那さんとのコミュニケーションはもともと円滑でしたか?
もともとは私の中にも夫に対しての遠慮があり、なかなか甘えることができていませんでした。夫も当初は「自分のことで精いっぱいなのに、こどもなんて育てられる気がしない」と弱気になることもあったようです。それでも私は夫に対して、「好き」という感覚を超えて、一緒に生きていく同士という感覚を持っていたので、思いが行き違っても話し合って理解することをあきらめたくなかった。その結果、流産したときに夫に「逆に良かった」と言われて大げんかになったこともありました(笑)。そのくらい思いをぶつけ合った結果、少しずつそれぞれが自分自身をしっかりと見つめるようになり、ふたりの間に本音で話しても受け止め合えるんだという信頼関係が築かれていきました。
振り返ってみると、娘が私たちのところにやって来てくれたのは、私たち夫婦が協力して子育てに取り組むための精神的なコンディションが整った、ベストタイミングだったんだと思います。育児を通じて生き方、在り方を日々娘に勉強させてもらっていますが、まずはそのためのベースラインに立てたような。
―最後にメッセージをお願いします
一見タブー視されそうな死産・流産という経験ですが、私の場合、自分の健康状態が整ったこと、愛がどんなものなのかを知れたこと、夫との信頼関係が育ったことに加えて、生きていることはそれだけで奇跡!そのままでOKなんだ!と実感できたなど、得たこともとても多かった。今思えば感謝しかありません。こどもたちには、体験させてくれて本当にありがとう。本来の自分に戻るために、いろんな事を気付かせてくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。
私は結果的に娘を授かったけど、こどもがいる人生でもいない人生でも、失うものがあります。大事なのは私が、あなたがどう生きるか。「ない」ことに目を向けていると苦しくなるけど、「ある」を大切にすると希望や可能性がたくさんあることに気付けるはずです。今あるものをしっかりと見つめて、やることを淡々と積み上げることがとても大事だと思います。そして、こどもを持ちたいと願うならば、積極的に赤ちゃんに触れていくことも大切です。リアルな体験がないとイメージもできないし、イメージできないことは現実にならないから。あなたが望む世界を、是非積極的に体験してみてください。
◎中西明子 info
自身の流産・死産の経験を活かし、岡山県を中心に産前・産後サポートの活動を行っている。担当範囲は、妊娠前から赤ちゃんがことばを話すようになるまで。
MAIL:akiko@lemon.megaegg.ne.jp
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