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【いのち図書館】(3)早く、小さく生まれてきた赤ちゃんの「普通」のお産


7回の妊娠を経験し、3回の流産と1回の死産を経験したやまだあきこさん。新たに授かった赤ちゃんはおなかの中でスクスクと成長していましたが、13週目に起こった出血がきっかけで22週目には前期破水が起こり、緊急入院することに。それまで助産院での出産を多く経験していたあきこさんは、予定日より約3ヶ月早くこの世に生まれ出て来た赤ちゃんの帝王切開での出産、様々な医療介入が行われたNICUでの成長を日々のなか、それまで抱いていたお産に対する「普通」の概念が大きく覆されたと言います。(1)、(2)、(3)の3部から構成されるインタビュー。最終回となる(3)では、あきこさんがこのお産から学んだことをお聞きしました。
(取材日:2019年11月28日 取材者:鯨井啓子)

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どんなお産も、素晴らしいお産

ひとりひとりに「自然」なお産がある
長女は産婦人科の病院で生まれたのですが、私自身、自分に点滴されるのも嫌だったくらい、もともと薬や点滴といった医療介入をあまり受け入れられなかったこともあって、そのあと3人は助産院で出産しました。けれど大学病院に搬送されて、次から次に医療行為がなされていく中で、「ああ、もう降伏」って思って(笑)。自然なお産というのは医療介入がないということではなく、流れに身を任せることなのかもしれないと感じました。

病院でのお産には、私の目には不要と感じられる医療介入もいっぱいあったけど、その根底にあるのは「赤ちゃんの命を守る」ことなんだなとも強く感じました。「自然」というフレーズに縛られて、いろんなものを阻害してきたけど、その阻害する力すらも言ってみれば不自然な抵抗だったりする。命の危険がある状況で、「この子に点滴するのやめてください!」と言うのもなんか違う。流れに沿った「自然」を受け入れることも大事なんだろうなと思って。

母体のことでいうと、助産院での出産だと、お産の波に乗ること、痛みを共有することは赤ちゃんとママにとって大切なこととされています。でもママがそもそも、お産は痛い思いをするものという意識を持っていなくて、無痛分娩を提供してあげることで円満に出産できるなら、それは他人が何か言うことじゃないなと思ったんです。

お産は親も子も命懸け
今までにも出産は経験していたので、決して簡単なものではないと思っていたけれど、今回特に強く感じたのは、お産は親も子も命懸け!ということです。

今回初めて、帝王切開を経験しました。麻酔がしっかり効いているので、お産自体は穏やかで痛くないんですけど、産後はすごく痛い。今でも「下から産んでないお産はお産じゃない」と言われた人の話を聞くし、帝王切開を後悔する人はいるのかなと思います。助産院で産みたいという望みが叶わなかった人などは特に。帝王切開でのお産の場合、手術の前には、もしかして自分も死んじゃうかもというリスクを全部聞かされて、何枚も同意書を書くことになります。「最悪死にます」みたいな内容に、です。こんな命がけのことをして、それがお産じゃないとは言われたらありえない!(笑)。だから、どの方法だからいい、悪いではなくて、どんな形でもお産はやっぱり素晴らしい体験なんだと思いました。

命のために必要な医療がある
赤ちゃんのことでいうと、処置を施したあと眠らせておくために点滴したのは、モルヒネだったんです。ある日「モルヒネ」って書いてある点滴が入っていて、「えー、鎮静剤ってモルヒネなんですか?」って看護師さんに聞いたら、看護師さんからは「そうなんですよー」いう軽い返事が返ってきて。「眠るお薬入れてます」ってやんわり言ってたのはこれか!と(笑)。

私は自分も赤ちゃんも、レントゲンで撮られるのすら嫌だったんですけど、肺に処置をしたときにはちゃんと管が入っているか、効果的に使えているかを見るのにもレントゲン撮影が必要でした。先生が「いや、ちょっと今、うまく映ってない」とか言って撮り直すことになると、「ちゃんと撮ってください―!」って思ったりして(笑)。そういう、ひとつひとつの経験で私の精神も鍛えられました(笑)。その命のために必要な医療っていうのはあるんだよっていうことを、この子が教えてくれたと思っています。

ノート

赤ちゃんのいのちは儚くない
私は生まれて2ヶ月だった次男を、乳幼児突然死症候群で亡くした経験があります。そこから、赤ちゃんのいのちは儚いものだと思うようになりました。けれど、NICUで眠っている赤ちゃんたちを見ていると、みんな管や機械につながれているものの、部屋の中の生命力がすごかったんです。赤ちゃんたちはみんな寝ているように見えるけど、「生きるぞー!」、「自分たちは生きるんだー!」みたいなエネルギーがとても強く伝わって来る。そのことには本当にびっくりしました。もちろん病院にたどり着いても、無事に生まれることのできなかった赤ちゃんもいました。だから、みんながみんな生きて成長できるわけでもないけど、それでもそこに生まれた赤ちゃんたちは力強く生きていました。

振り返ってみると、次男が病院に運ばれたときに行われた処置は、もう止まってしまった心臓を動かそうとする蘇生でした。けれどNICUは、そこにいる子たちの生きようとする力を、先生方や看護師さんなど、みなさんが一生懸命サポートする場所でした。小さく生まれた赤ちゃんたちは肺呼吸に慣れていないので、眠っているうちにうっかり呼吸を止めてしまうことがあります。止まった呼吸を探知してアラームが鳴ると、看護師さんが胸をツンツン、トントンとして呼吸を促す。すると赤ちゃんは再び呼吸を始める。NICUではそんな光景が日常的に見られました。同じように呼吸器につないだり、点滴をしたりしても、そこが大きく違うなと思って。赤ちゃんは儚くないし、強い。生命力にあふれているんだっていうことも、私の中で大きく意識が変わったところです。

みんなに祝福される出産
このお産を通じて感じたのは、どのいのちもきっと、祝福されて生まれて来ているということです。自分自身もこの世に生まれてくるとき、すごく「生きたい!」と思って母のおなかから出て来たと思う。

この子を授かったと知った時、私が強く願ったのは、みんなに祝福されて出産したいということ。どうしたらそんなお産ができるんだろうなぁと思って、でもまぁ、なるようになるかぁと思って過ごしていたら、本当に多くの方が関わってくれたお産になりました。自営業で収入の波が大きい中、子だくさんの私たち夫婦。いろいろと心配しているのではないかと気がかりで、なかなか妊娠を告げられなかった両親をはじめ、大学病院のみなさんも、助産院のみなさんも、友達もたくさん。みんな心配してくれたし、お祝いもしてくれて、今まで経験した中でいちばん祝福されたお産になりました。いつもと違う環境のなか、夫や両親とともに頑張ってくれたこどもたちも、次男の誕生を喜んでくれました。こどもたちは病室に入れなかったので、はじめて直接会えたのは退院の日のこと。この日は学校と保育園を休んで、みんなでお迎えに行きました。「わー!」って言いながら新しい家族に会えたことを喜んでいたこどもたち姿は、とても印象的でした。妊娠当初はまったく予期してない展開でしたけどね(笑)。

退院後

今思えば、赤ちゃんの成長を目で見ることができたのは、すごく不思議で、貴重な経験だったなぁと思っています。ほんとうに小さく生まれてきたけど、肺以外はこの時点でほぼ完成されていて、爪もちゃんとあるし、手のしわもある。へぇって思うくらい完成されていて。現在は月に1回検診で通院しています。これからは病院の検査で出てくる数値ではなく、自分でこの子のことを見て行くことになるんだなという緊張感もあります。それでも、今やっとホッとして日常の生活に戻ったという感じです。ほんとうにびっくりしちゃいました、こんなお産が待ってるなんて(笑)

お母さんたちに「大丈夫だよ」と伝えたい
振り返ると、たくさんの赤ちゃんが私のおなかにやって来てくれました。そんな私だからできることとして、これからは流産や、赤ちゃんとの死別を経験したお母さん、ちいさく生まれた赤ちゃんのお母さんと

もっと交流していきたいなと思っています。

おなかの中に長くいさせてあげられなかったことを背負ってしまったり、悲しい出来事をずっと引きずってしまったりしているお母さんもいると思います。でも、赤ちゃんに対して申し訳ないとか、あの子のために生きなきゃとか、そんなことを思ってずっと暗闇にいる必要はないのだと思います。お母さんが悲しんだり、反省したり、苦しんだりしても、起こった出来事は変わらないからです。

家族に悲しんでいる顔を見せられないなんて思わず、悲しい出来事があったら、もうどっぷり悲しんでいいんだと思うんです。悲しみ切ったら次が見えてくるから、あとはもう、次に向かっていいんだよって。だって、楽しんでいるからってその子のことを忘れることはないんだから。いろいろなことを望んでいいし、笑って生きてもいいし、幸せになっても大丈夫なんだよって。たくさんのお産を経験した今だからこそ、そんな思いを分かち合える場を作れたらいいなと思っています。

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