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映画「風立ちぬ」考 ――島耕二と若杉光夫――

「風立ちぬ」は堀辰雄の短編小説で、これまでニ度映画化されています。最初の映画化は昭和29年(1954年)、主演は久我美子&石濱朗、監督は島耕二。二度目の映画化は昭和51年(1976年)、主演は山口百恵&三浦友和、監督は若杉光夫。
 実は島耕二と若杉光夫は、劇団民藝=新映画社製作の「ある夜の出来事」という映画に、それぞれ監督、助監督として参加していました。
 両監督とも、純愛映画からサスペンスまでオールマイティな監督ですが、とくに児童映画に定評があります。
 しかしながら、「風立ちぬ」に関しては、対照的で、それぞれの監督の個性・志向性が顕著です。

 島耕二版「風立ちぬ」の冒頭には次のような字幕が出ます。

「この映画は/堀辰雄の/「風立ちぬ」より/任意に潤色せる/ものである」

 原作が中編で、しかも登場人物が少ないので、長編映画にするためにはどうしても潤色が必要です。
 先に原作について触れておきます。
 原作は5章から成っています。主人公の「私」と婚約者・節子の話は第4章までで、第5章は節子が亡くなって1年後の話です。若杉光夫版ではヒロインの死んだ後が描かれますが、それはエピソードであって、第5章を映像化したわけではありません。
 第1章から第4章までに出てくる登場人物は、「私」、節子。節子の父、あとはサナトリウムの院長、医師、看護婦、患者たちです。
 節子の父の職業はいっさい書かれてありませんが、島耕二版では画家になっています。個展も開くほどの画家です。
 さらに原作には登場しない「私」の叔母を創造し、節子の父との再婚話が持ち上がります。
 節子はそれに動揺し、病状が悪化してサナトリウムに入りますが、最終的には再婚を認めます。
 他にも、「私」がマイクロウェーブ通信を研究する学生に変わっていたりします。
しかしながら、高原で写生する節子とそれを見守るオープニングは、原作のオープニングの再現です。また、節子が死ぬ前に見る、棺を担ぐ人々の幻想も、原作にあるものです。この幻想シーンは島耕二監督の初期の傑作「風の又三郎」(1940年)の、少年が森に迷い込むシーンを想起させ、ファンタジックでリリカルです。また高原の豊かな自然は「窓から飛び出せ」(1950年)に通じる牧歌的な印象を与えます。

 一方、若杉光夫版では、節子の父親の職業は平和主義の外交官、「私」の家は厳しい軍人の家庭、時代も第二次世界大戦前後に潤色されています。
 恋人たちの一方は病気の「死」、一方は戦争の「死」に向き合うという、ロジカルな対比で、島耕二版とは対照的です。また、出征する「私」の電話を受けた節子の父は、節子の死を知らせるのですが、電話が遠く、節子の死を知らずに、再会を信じて戦地に赴くくだりは、「ロミオとジュリエット」のような純愛悲劇に仕立てられています。

 なお、原作では、節子の死は直接描かれていません。


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