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飲む人は読んではいけないアルコールの話(B)

初ダメージ

中学3年の受験も終わった卒業式前の浮かれた時期に友達と酒を飲んではしゃいだ。おそらくその時に悪魔のスイッチが入ったに違いない。飲んで楽しい時間を過ごした最初の経験だった。

小学校も上がらないような時に冗談で少し酒を舐めるような事もあったが、脳を麻痺させ、アッパーの酔い方をしたのは高校に上がる少し前。友達や彼女と酒をみんなで飲んだ。その当時も缶チューハイって言っていたかな。あとピンク色の女の子でも飲みやすいピーチツリーフィズ。そしてビール。近所の酒屋で普通に買っていたと思う。そして自販機。定価でビールを自販機で買っていた。

高校に入学したとたんに<飲む>という遊びがあった。その当時の高校生は飲み会を頻繁にやっていた。家飲み、合コン、飲み会、パーティー。様々なシチュエーションで15,6歳の小僧たちが偉そうに酒をあおって飲んでいた。進学校とか、真面目な生徒とか関係ない。みんな飲んだ。
オレも普通にその流れに乗って何かイベントがあれば飲んでいた。家で1人で酒を飲むようなことはしてなかったが、酒は楽しい物、宴に必要なマストアイテムとして欠かせない飲み物だと、その当時の高校生は思っていた。カラオケ、クラブ、酒、とか色々。アルコールの習慣はカルチャーの中枢を担っていた。

高校にあまり馴染めずにいた自分は、帰宅後、中学の友達とも連んでいたが、無気力、希望なし。腐っていた。部活もやらず、趣味もなく、タバコを吸って、たまに酒を飲んで、団地の14階で空を眺めて1日が過ぎていくような毎日を送っていた。幸いにも団地の14階は眺めが良い。

外に出れば、女か、酒か、、、色々だ。
中学、高校の担任の先生など周りの様々な大人の方がオレの生き方を軌道修正してくれようと真剣に考え、指導してくれていたが、やはり一桁の歳から続くブレブレのグダグタの芯がない精神をそんなに簡単に直すことなんてできなかった。高校時代は、トラブルや喧嘩なんかを繰り返し、生きた心地がしない、何とも表現ができないつらい時期の1つだった。誤魔化し誤魔化し高校までは生きてこれたが、誤魔化しの効かない現実を受け止めざるを得なかったのだろう。親からのまともな教育を受けずに違うエリアのまともな同年代と接した時に生き辛さを感じた。腐っていた。

この時代の話語る際に、省かないといけない内容もnoteに書いていると多々ある。オレの意思だけで書き記すことができない事がかなりある。それはもちろん省略するが、この時代のこのエリアのガキ達はある意味生命力に溢れ、強い刺激を求め、いろんなものと戦っていた。そしてそれを楽しんだ。世の中は自分の思い通りにあり続けなければならない。力尽くでもそういう時間を多く過ごしたい。欲望はバブル期と相まってスペシャルフォースを形成していた。


鈍いカウンター

昔の話をしたい訳ではないが、背景がないと語れないので高校時代を少し書いた。

本題に入る。簡潔に書く。

その時期覚えた数々の刺激物。その中に20年以上の時間経過をもって自分の人生を破壊し続けたアルコールがあった。覚えたてのアルコールは華やかで、心地良く、人生のパートナーとして自分を助けたり、励ましたり、人生を彩る密度の濃いスーパーマジカルリキッドだった。

確実に言えることは、人生を破壊したアルコールだが、人生を優しく包み込んだ守り神とも言える。アルコールなしには生きてこれなかっただろう。ツライ時、苦しい時、死にたい時、そんな苦境を乗り越えることができたのも酒のおかげだ。

そしてアルコールなしにオレも生まれていない。親は飲み屋を経営していたから。母親は、父親と酒で結び付き、酒で離れ、酒で死んだ。父親は、母親と酒で結び付き、酒で離れ、酒で息子の自殺未遂を受け止めなければならなかった。息子のオレは、酒で結び付いた両親から生まれ、酒で家族を失い、酒で舌を失った。

つまりはアルコールの縁で繋がって命を授かった自分は、己の身まで食い尽くすほど寄生したアルコールが脳にダメージを与え続けた。映画バタリアンを思い出す。ゾンビが脳を食らう映画だ。人間の脳みそを食べると少しだけ痛みが和らぐ映画。アルコールを摂取すると一瞬、人生が解き放たれる開放感を味わえた。

オレの考えだが、経験から、ドラッグは全てにおいて幸せの前借りをしているだけだ。大小はあるが必ず後からダメージを食らう。脳みそを食えばそれなりにカウンターを浴びる。病気の方は、そのカウンターが恐ろしく効く。下手すると命を落とすことになる。

それがアルコール依存症<物質使用障害>だ。


苦しんでいる人に向けて多くのメッセージを届けたい。とりあえず、これから人前で話す活動をしていきます。今後の活動を見守ってください(^^)