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カット・タン・マイセルフ(C)

かみさんが病院に到着し、これで帰れると一安心したが、状況は変わらなかった。あの状態のまま飛行機に乗せて帰国することはできないと誰もが思っていたに違いない。時間が経過するのをじっと待つ感じだった。薬が効いているのか、躁鬱なのか、時間経過はゆっくりではなく、1日があっという間に過ぎていく。投薬という病院側の親切な図らいか。ゆっくり感じる時間が何となくホワッとスッキリ過ぎていく。

舌先をなくし、うまくしゃべれない精神が崩壊した男のバンクーバータイムは意外と早い。

かみさんが来て数日で個室に移動になった。退院はまだまだ先だと言われたようなもんで、身支度を整えて思い出の部屋を出て渋々個室に向かった。個室は角が全て取り除かれたブルーな部屋だ。部屋の四つ角などもなかったような気がする。職人さんが面倒がるようなアールで全てできていた感じだ。全体的に精神安定を狙ったクールトーンのブルーで壁面が塗られ、出入口扉上部にのぞき窓、もちろんロック万全の鍵が設置されていた。広さは20平米ぐらいあったか、なかったか。ベッドと手洗い、便器が清潔感がある感じでコンパクトに置かれていた。1日の数時間、面会という形でかみさんが来る。それ以外何をしていたのか、全く覚えていないが、寝ていた時間が長かったと思う。たまに部屋の外に出て、飲食ができるフリースペースでかみさんと話したりした。やはり、それ以外の記憶がまったくない。一生分の地獄を入院前に味わい、そこからの開放をゆっくり噛み締めながら過ごしていた記憶がある。舌を切った時から考えれば、かみさん、病院スタッフなどが自分を気遣ってくれている。それだけで有り難い。舌が無くなったアンラッキーはそれほどツライことではなかった。とにかく1日も早くここから出て日本に帰国し、普通の生活に戻りたいと思い続けた。

かみさんは医師だったので、妻であり、医師のかみさんが一緒に飛行機に同乗し、面倒を見続ける。一生。帰ってからも続く治療を責任を持って見守ることを条件にかみさんが何度も交渉をしてくれた。

入院して2週間ぐらい経っただろうか、期間が曖昧だが、ようやく帰国の許可が降りた。

全てに感謝した。

その後、お世話になったタトゥーショップを訪れ、タトゥーイスト2人に歌川国芳の画集と日本画の本をプレゼントした。やばい!やばい!と本を見入っているカナダ人が忘れられない。相当衝撃的な絵だったんだろう。その後、ショップオーナーが切なそうな顔で奥から出てきてオレの顔を見てハグしてくれた。温かかった。なんか言ってくれていたがよくわからなかった。オレが英語堪能だと判断している感じだったが、オレのヒアリングは全てを理解するまで能力開発は進んでいなかった。だが、人柄が伝わってくる親切なやり取りを肌身で感じ、ショップをあとにした。

今は全ての煙を禁煙して11年になるが、帰国するその日は、空港に到着してすぐに持っていた煙を肺に思いっきり溜め込んで空港内に入り、お土産を買って飛行機に乗り込んだ。カナダの空気で吸った煙はオレの脳には優しすぎたのか、オレの病気の症状が勝っていた。


苦しんでいる人に向けて多くのメッセージを届けたい。とりあえず、これから人前で話す活動をしていきます。今後の活動を見守ってください(^^)