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りあるマザーファッカーの告白

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”りある”マザーファッカー★ノンフィクション★アルコール依存症克服【出生】1977 年新宿【教育】歌舞伎町・都営団地【中毒経験】アルコール(寛解※通院中)・軽ドラッグ(寛解)・ギ…
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#断酒

りあるマザーファック(A)

オレはやっちまっている 小学校の時、友達の家に行くと胸が絞られるような違和感を覚えた。 幸せそうな家族がオレの心を締め付けた。 仲良さそうな夫婦に、3つぐらい上の兄貴、まだ幼稚園に通っていた妹、そして三階建の一軒家。友達の家は当時日本テレビのゴルフガーデン横、新宿5丁目にあった。 数分で四季の道の入口だ。かなりのところに建っていた。そんな立地とは思えないぐらい柔らかく、しなやかな時間の流れ。遊びに行くと今でも忘れられないぐらいの締め付ける感覚が毎回あった。 その経験は

バイとバイの息子(B)

おかま今はテレビなどで市民権を得ている性的マイノリティLGBTの方たち。 両親の周りにも大勢いた。 みんなLGBTの方に見えたこともあったぐらい普通に横にいた。 当時、歌舞伎町交番横、数件建っているホテル前にいたオカマの立ちん坊カール(仮名)さんは、特にオレの思い出に深く刻まれている。 今の言い方だとオネエだと思う。合ってるか心配だけど。失礼があったら申し訳ない。女装をして男色好き。声は男で喋り方は女。有り有り。カルーセル麻紀さんに憧れていたのかもしれない感じだ。間違って

ランドセルを置き安酒をシンクに流す(B)

電線越しの夕焼けと煮物の匂い サイドボードの前には白い冷蔵庫。 北西向き、ほぼ日陰のアパートにピュアな感じで白く佇んでいた。 まともに開くスペースがなかった小さな冷蔵庫の扉の中の記憶はほとんどないが、冷蔵庫上に設置されていたえんじ色の電子レンジにはよく助けられた。 空腹を満たす時に電子レンジでジャガバタを作るのが大好きだった。 友達が来た時は、みんなに振る舞った。 いつまでもオレの家にいてくれという願いを込めて美味しくできるように熱の通りに細心の注意をはらってもてなした。