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「ブック」がどうとか言うファンは、「味の素」にうるさい顧客と同じ。

少し旬は過ぎてしまったでしょうか?
いや、まだバリバリですよね。
今回は昨今話題のコチラのテーマについて考察系記事になります。

Netflixシリーズのドラマはこれまでもハズレなしの傑作ばかりで、「極悪女王」も期待以上の最高の内容で、ただただ楽しめたというのが素直な感想です。
そして毎度そうですが、外資の資本力と表現の幅の広さに感服です。

プロレスという自身の職業が題材となっていることはもちろんですが、
個人的にはやはり選手目線よりも団体運営目線でのドラマの見方も、もう一つの楽しみ方としてザワザワ出来た感満載です。

■「ブック」という言葉について

記事にもなっていますね。
今回この「ブック」という言葉が作中で多用された事に関する反響が各所に飛び火しているようです。

個人的な感想ですが、ドラマを見ている上で…

全く気にならずに楽しめた。
そして、そもそもそんな言葉は業界内で存在しない。

というのが結論です。
そしてこの事に関してはTAJIRI選手のnoteにて明瞭に書かれていました。
世界を渡り歩いたTAJIRI選手をもってしてもこの結論なので、言葉についての真意についてこれ以上深掘りする必要はないかと思います。
コチラを読めば「ブック」という言葉の真意については明瞭に理解出来るかと思います。

■「ブック」騒動に見る、顧客の民度。

で、今回この記事で考察していきたいのは今回この「ブック」という言葉に過剰反応している層についてです。
果たしてどの層がそんなにその言葉を気にするのか?ということ。

正直、今回「極悪女王」を見て素直に楽しめない人は、おそらく世の中のどんなエンタメも心から楽しめないと思うんです。
辛辣な言い方をすれば可哀想に思ってしまう部分もありますし、「そんなこと気にしないで、素直に楽しめば良いのに…」と思うこと、ありますよね。

で、そんなことを考えていた時にシンクロしたのが、

“味の素”論争

だったのです。

自身の人生において「味の素」、もとい旨味成分調味料の可否を過剰にしたことはほとんどないですし、
提供された料理が美味しいか美味しくないか、その空間が楽しいか楽しくないか、でしかないと思っているんです。

しかしながら、世の中には一定数「物言う」顧客はいるわけで、
御多分に洩れずプロレスファンは、そう言った「物言い」系のファンが多いと感じています。

ちょうど次回のnoteでは、今話題になっている、“プロレス観戦におけるマナー議論”について書こう思っていたので、それはそれとして。

で、味の素論争にしても「ブック」論争にしても、詰まるところ

議論したところでアナタの人生には関係ない。

ということで調うのかと思ってます。
それでも議論したい人というのは、うだつの上がらない自分の人生の中で、何か一つでも自身の正義を振り翳したい人なのではと感じています。

■プロレスというジャンルへの“見方”は変化している。

「ブック」という言葉に過剰反応するのは年齢層としては高め、いわゆるオールドファンがほとんどでしょう。
そもそも、今の若い人は格闘技とプロレスは完全に分けて認知していますし、
もはや格闘技とプロレスが地続きな時代は終わったとも思っています。

コチラの記事でそんな事も詳しく書いているので、ひとつよしなに。

胸毛ニキがBreakingDownに連続出場していた時期に、よくBDの会場で
「さすがプロレスしてますねえ。」「プロレスラーっぽいですねえ。」
という言葉を、全く悪気なく出場選手や主宰の方々からかけていただきました。

詰まるところ、時代や若い人々はプロレスというジャンルへの解釈が変わってきているんです。

それを過去の地続きの価値観で解釈しようとした時に「ブック」という言葉へ過剰に反応する精神性が生まれてくると思うのです。

旬には便乗します。
10.13川崎公演も、ひとつよしなに。

■プロレスは果てしなく深い。だから楽しい。

で、ここからはそんな前提を踏まえて「極悪女王」で描かれていたような
《ブック無視》※あえて作品に倣ってこの言い方

そんな事は行われるのか、そしてプロレスはどこまでがリアルなのか。

といった内容について、私的な見解を綴っていきたいと思っています。
では行って参りましょう。

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