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許しと嘆き
「それは、どんな長い長い旅にも必ず終わるときがくるということに似ている。」
ジョン・バースの「旅路の果て」より
過去の記憶
私はいつも思い出すワンシーンがある。
息子が中学2年生の時。
息子が幼稚園の頃から続けていたサッカー。
中学の頃には、息子はとてもサッカーが上手で、部活の副キャプテンであった、そんなある夜。
息子「お父ちゃん、サッカー部辞めたいと思うんだ」
私「そうか~。でも、もう少し頑張ってみたらどうかな?」
息子「そうだね。」
そして、息子は学校に行くのを放棄した。
私はそんな息子を叱咤激励し、学校に行くよう強く促し続けた。
そんなある日、息子にとってとても悲劇的なことが起きた。
命が残るかどうかの瀬戸際であった。
あの日。
凍り付いた私と、夜の病院のロビーと、私が私から遊離している決断が、まるでビデオのように何度も思い浮かぶ。
壊れたテープのように繰り返し繰り返し、私の中で再生される。
救いを求めて
私は、その日から、東奔西走し、さまざまな場所に身を置いた。
息子を支えるには、救うには、私が変わるしかないという焦燥感と、自責の念。
あの講師の法話が良いと聞けば、そこに行き、○○理論が良いと聞けばその理論を学び、○○ちゃんのスピリチュアル理論が良いと聞けばその学びにも手を出した。
NVC(Nonviolent Communication 非暴力/共感的コミュニケーション)と出会ったのもその頃であった。
(息子の名誉のために付け加えておくと、2021年、息子は既に成人し、夢に向かって大学で学びを深め、2023年にはたぶん看護師になる。息子は息子の人生を歩いている、あの日だけでなく、生まれた時から一度として変わらず、ずっと息子の人生を歩んでいる。息子の人生は100%息子のものなのだ。
そして驚くことに、息子によると、私との会話や葛藤よりも、私の妻との会話や葛藤の方がかなり強く印象に残っているとのことである。
確かに、妻の方が私より、息子の人生に強く寄り添っていたからなんだろう。)
しかし、私は、今もあの日にいる。
あの日の私を、痛めつけ、責め続ける。
そうすることで、息子の痛みの一部でも感じていたい、感じ続けたい、それこそが私の唯一の贖罪の道であると、無自覚に信じながら。
シフト
私は、自分で自分を許すことを長らくできなかった。
無自覚に、自分を責め続けることこそが、唯一の贖い(あがない)であると信じていた。
痛みを受けた人が居るならば、痛みを与えた人がいるはず。
だからこそ、痛みを与えた人である自覚が私にあるなら、贖罪として、常に痛みと共に居て、それを生涯抱えて生きていくのだと。
私に、今週末 2021.06.06日曜日、急激なシフトが起きた。
鈴木重子さん、安納献さんの Part3.プロトタイプは、嘆きをテーマにしたもので、私はその講座に参加していた。
私にラベルを貼る
あの日、「そうか~。でも、もう少し頑張ってみたらどうかな?」と言った自分。
高校進学の内申点を取ろう企んでいた私。
それがエゴだと、私自身をいつも叩きのめしていた。
私は、私に容易にラベルを張る。
「自己中心的」「強引」「エゴの使徒」「価値がない」「独りぼっち」・・・・
ラベルの向こう側
私のやったこと、それに「エゴ」とラベルを貼る。
でも、その向こうに、「息子が幸せに生きて欲しい」という強い願いがある事に気づく。
自分を責める声は、「ラベルを自分に貼ることで、息子の痛みの幾分かでも背負うべきだ」と言っている。
自分が責められる声は「ただただ、息子の痛みを分かち合いたい、その痛みの全てを背負いたい。息子の痛みが解放されない限り、私は決して幸せにならない」と言っている。
そこにあったのは
その二つの声を聴きながら、私には、ただただ「愛」があったのだと気づく。
息子がこの世に生まれたその日から、いままで、一度として愛は途切れたことはない。
愛している、大切にしたい。
不器用で、下手で、どうしようもないやり方だったかもしれない。
私には、愛があるだけなんだ。
ああ、息子のことを、ただただ、愛している。その思いは、一度として枯れたことがない。
私を許す
やっと、私は、私を許すことができた。
息子を尊重し、声を聴く事ができなかった。それは大きな悲しみであり嘆きである。
もっと声を聴ける親でありたかった。なぜなら、愛しているから。
出来なかった自分・責める自分の両方が私の「愛」の不器用な表れだと気づく。
やっと私は、私を許す。
「ああ、愛を伝えたくて、出来なかったんだね。それは、本当につらい出来事だったね」
そう。
わたしは、「嘆く」ことが、やっとできるようになったのだ。
生涯にわたって、自分に禁止しようとしていた
「嘆き」がここに、おずおずと、やってきたのだ。
おかえり。
私
嘆き
その向こうの大きな大きな
愛。
「それは、どんな長い長い旅にも必ず終わるときがくるということに似ている。」
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