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092 学びの奴隷

何かを学ぶことで、自分はよりよく生きることができる。

そう信じる私は、学びに大きく影響される前半生を送ったように思います。
もちろん、今もその傾向は残っています。

学びの奴隷になるとはどんなことか。

例えば、「動物由来の食事(肉食)は環境負荷が高く、多くの家畜が悲惨な状況に置かれている。」と学んだとします。

そうすると、食事を切り替えるという選択をするよう自分に強制します。

1 植物由来の食事を多くとるよう心掛ける。同時に動物由来の食事も大いに楽しむ。

2 なるだけ植物由来の食事を多くとり、なるだけ動物由来の食事は避ける。

3 基本的に植物由来の食事にするが、味付け(出汁や調味料)、卵等については今まで通りとする。

4 植物由来の食事以外は一切食べない。

5 食事だけでなく、身に着けるもの(毛糸・革製品)も、動物由来のものは選ばない。

・・・組み合わせ方もいろいろありますので、選択肢はもっとありそうです。

本来、私は、1を選択したい。
しかし、4でなければならない、として自分を抑圧します。

同じことは、NVCの学びでも起きます。

ものごとをOFNRで捉えなければならない。
「人とわかりあえる」べき、などなど

学んだことを従順に実践するのが学びの過程では、大切なのも理解しつつ・・・・

選択をする前に、最初に問いたいのは、自分がどのような生き方をするかということです。

どんな学びにも同じことが言えます。

生活の中で、どの程度、実践を取り入れるのか。
私という人間の一貫性の中に取り入れるのか。

ちなみに、私がNVCを始めた原点は、「息子の声を聴けるようになりたい」でした。
「周縁化された声を拾う、聴く」というのは私の最も欲することなのです。
なので、「人の声を聴く」という質感をとても大切にしています。

そして、実践がなかなかうまくいかないのも自覚しています。
私の持つ性質として、つい「自分の大切なもの(ニーズ)を中心に生きる」が前面に出てしまうのです。
私は、「人の声を聴く」前に、「やりたいこと」で進んでいくのです。

良く言えば「推進力がある」ですし、悪く言うと「自己中心的」です。
ジャイアンテイストなわけです。

さらに、私が持つ「自分は一人ぼっちである」「自分には価値がない」という不都合な信念が組み合わさると、「誰もサポートしてくれないのだから、一人でやればいい」という猪突猛進が現れてきます。

この傾向に、人生の前半はずいぶんと助けられてきました、深く感謝しています。
同時に、今は後悔も多いと感じています。

本題に戻ります。

私はNVCに限らず、すべての学びの中で、「息子の声を聴けるようになりたい」が強く影響しています。
もちろん、今は息子と普通の会話ができています。

それでも、私の人生において、「周縁化された声を拾う、聴く」というのは大切なこととして、中心にあります。

なので、「人の声を聴く」前に、周縁化された声を抑圧し「やりたいこと」で進んでいく力には、なるだけ抗う選択をします。
そして、「周縁化された声を拾う、聴く」ことを大切する選択をなるだけしたいと願っています。

当たり前のことですが、私がどう生きるかが大切であり、NVCにしてもなんにしても、学びは主人に仕える執事に過ぎないのです。

NVCを学んでも、NVCのメガネはいつでも外せるようにしておく。
マーシャルの言うことを鵜呑みにしない。
今の私には納得できないことがあれば保留する。場合によっては、拒絶する、「わかりあえない」ことを大切にする。

執事の言うことに振り回されず、私が私の人生の主人として、生きていきたいなと心から願っています。

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