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006 自分の感情が分からない

まえがき

また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言いかたですが、おなかが空いていても、自分でそれに気がつかないのです。小学校、中学校、自分が学校から帰って来ると、周囲の人たちが、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、学校から帰って来た時の空腹は全くひどいからな、甘納豆はどう? カステラも、パンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いた、と呟いて、甘納豆を十粒ばかり口にほうり込むのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

【出典】人間失格(青空文庫より) 【著】太宰治

006 自分の感情が分からない

NVCをはじめて、最初に気づいたのは、「自分の感情が分からない」でした。
ワークショップなどで、講師や周りの人が、自分の感情を一体感と共に表現します。

私は、「怒り」の感覚は大体わかったのですが、それ以外の感情がいまいちよくわからない。

特に、「今の体の感覚はどうですか?」と聞かれるのに困りました。

思考がぐるぐる・びゅんびゅん回るのですが、体の感覚なんてちっともわからない・・・・のです。

しかたなく、論理的な推測で自分の「感情」を探しました。これは、結構長い間続きました。

安納献さんと鈴木重子さんに
「感情を感じない」ということを「感じてるのですね」と言われて、ほっとしたのを憶えています。

後藤ゆうこさん・剛さん夫妻が、福岡でワークショップをしてくださったときに、「激しさの練習」というのを教えてくれました。
その時に、やっと、「体の感覚」や「感情」が分かったように思います。

今も感情を感じるのは、得意ではないと思っています。

とりあえず、今一番感じているのは、グラスに氷がうっすら張っているようなとっても冷えたジョッキで、冷えたビールを飲みたい!かなぁ・・・

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