悲劇という贈り物
悲劇はある日突然起こり
私達を連れ去る。
そして、悲劇より前の日々は、決して戻ってくることはない。
突然、深淵に飲み込まれる、逃げ出すことのできない深い闇へ。
どう足掻こうが、深い悲しみと共に居るしかない。
考えや左脳でどうこうできるものではない。
小賢しい学びなど、悲劇の前では力を失うしかない。
NVCの共感も、大きな悲しみの前では無力だった。
むしろ痛みを増幅し苦しみを増す。
悲しみ悲しみ尽くす、それでも悲しみは決してなくなったりはしない。
呼吸をするのも辛いほどの悲しみを、ただ悲しむ。
金輪際、自分の望む世界に生きることなど叶わない絶望を、ただ絶望する。
深い悲しみを得るたびに、絶望の深淵に溺れるたびに、抵抗する意識は薄くなっていく。
私の自由意志なんぞには、何もできないと、完全に降伏する。
それに定められた道具の私を生きるしかない。
起きたことを、ただ受け入れる。
完全な明け渡しと言える。
悲劇のギフトとは、「ただ受け入れる」ことに心が完全に開くことだ。
やがて、「甘い悲しみ」と共に生きる日々が、始まる。
それは愛から生きること。
世界をただただ、愛そう。
何が起きても、それを愛そう。
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