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鉄道が好きになるきっかけ

私は所謂、団塊ジュニアと呼ばれる世代です。日本が鉄道開業100周年と賑わっていた前後に生まれました。

鉄道に関して、私が生まれた頃どんな時代かというと、日常的に使われる定期運行の鉄道から蒸気機関車が全廃され、ブルートレインや特急列車が網の目のように走っていた。特急はエル特急と呼ばれていた。また観光向けの列車として蒸気機関車が使われるようになったりという鉄道好きには鉄道全盛と言っても良いような時代だった。(実際の当時の国鉄は色々な問題を抱えていたと思いますし、地方の不採算路線の廃止、その後の国鉄分割民営化とつながりますが)

人生の節目節目に鉄道に乗ったり、そこから見えた景色を回想しながら書いていきたいと思います。

私の物心がつくかつかないかの4~5歳の頃に兵庫県尼崎市から大阪府に引っ越してきました。昭和50年代初頭です。大阪府と言っても、京都府に隣接しており最寄り駅は京都府に所在地のある駅でした。

私が当時住んでいたのは、撮り鉄の人に有名な山崎カーブのある国鉄の山崎駅、阪急京都線の大山崎駅が最寄り駅で、東海道新幹線が阪急電車と並走する近くでした。国道171号線が東海道新幹線と並走するように伸びていました。山の方を見るとサントリーウイスキーの有名な山崎工場が見え、またスポーツなどの決勝戦などでよく使われる慣用句の語源となる豊臣秀吉軍と明智光秀軍が戦った「天王山」がある。桂川、宇治川、木津川が合流し、大きな流れとなり淀川となった。

東海道新幹線2018年頃
サントリー山崎蒸溜所
淀川の河川敷
天王山のマンホール

家の窓を開けると高速で走る0系新幹線のパンタグラフと架線からバチバチと火花の散る音が聞こえ、新幹線と比較しゆっくり走る阪急電車のタタンタタンというジョイント音が聞こえた。そんな場所の近くに住んでいました。

その頃はもちろんまだJRでは無く国鉄で、島本町駅は存在しておらず、長岡京駅が神足駅(こうたりえき)と呼ばれていました。

鉄道が全盛であったような時代であったのと同時に、スーパーカーブームもありました。そういったテレビ番組も観た記憶があり、母が幼稚園にもっていくお弁当箱をランボルギーニカウンタックやフェラーリF40などのビジュアルが付いたものを買ってくれた。ミニカーも持っていたように思う。しかしながら、スーパーカーというのはあまりにも身近に見ることも乗ることもなく、私の興味からは薄れていき、上記のように日常頻繫に目にする鉄道に興味が深まっていきました。

父の実家は大阪市内にあり、母の実家は福島県にあった。帰省する度に鉄道に乗ったり、週に1回のスイミングスクールに行くのに国鉄山崎駅から高槻駅まで電車に乗ったりすることで体験値を増やしていくこととなります。

また当時、大阪環状線の弁天町駅に交通科学博物館(現在廃館)、京都に梅小路蒸気機関車館(現在の京都鉄道博物館)に両親に連れていってもらい更に興味を深めることとなりました。その当時撮ったD51の写真がアップロードされた写真です。

親に国鉄特急の顔写真が並んだポスターを博物館で買ってもらったことが特に大きかったと思います。特急の名前と行き先(上野~仙台。特急ひばり)が書いてあったのを覚えて「幼稚園児なのにウエノとかセンダイとか漢字が読めてすごいね」と近所の人に褒められていい気になっていました。今にして思うのは、母が買ってきた小学校入学前に勉強するような国語学習教材よりも、漢字で書かれた特急の名前や行き先の駅名の方が良い勉強のきっかけになったと思います。

この頃に現役で走っていた特急にはほとんど乗ったことが無く、残念ながら実現できない遠い日の想いとなってしまうのですが、私の心の中の大きさではトランスイート四季島に乗れることよりも当時の特急の方が大きいように思います。もしタイムマシーンがあるなら、現在発売されている各年代の時刻表復刻版を持参し、時空を超えて国鉄時代の列車に乗りたかったと時々思います。

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