話したい話をしよう

こんにちは。
先日、塩尻の東座という映画館でレイトショーを観ました。ニコラ・フィリベール監督の「アダマン号に乗って」というドキュメンタリーフィルムです。
客席にはぼくを含めて4人、上映前には女性の支配人が現れ、今夜の映画についての話がありました。監督がこれまでに撮ってきた作品のこと、今回の映画が生まれた社会的背景など。
さっきまで支配人は受付もしていましたから、忙しそうです。話が終わったら、映写室へ急ぎます。
3本の予告の後、本編がはじまりました。
観ている間、およそ2時間、映画だけがあった。
そんな時間を過ごせたのは久し振りのことでした。
舞台はパリのセーヌ川に浮かぶアダマン号という名の船、そこには精神に疾患を抱えた人たちが通い、共に時間を送っています。
存在を受け入れてくれる場があることについて思い巡らしました。ぼくにとっては、その夜の東座というちいさな映画館がぼくを受け入れてくれた、ぼくのための場所であったなあと、帰り道、山の下に見える夜景を見ながら思いました。

渋谷の映画館でアルバイトとして働いていた頃、やってきたお客さんからチケットを受け取り、千切って、半券をお渡しするということをしていました。
ときどき、お帰りの際、ありがとうと声をかけてくれるお客さんがいたのを思い出します。
ご覧いただいた映画が良かったのだろうな、そんなふうに、受け止めていましたが、それだけではなかったのでしょう。

あのときのありがとうという言葉には、東座の支配人に対して、ぼくが抱いた感情と同じものが込められていたことに気がつきました。
この夜を得ることができたのはあなたのおかげですって、ぼくは彼女に対して思いました。
映画を作ったのはニコラ・フィリベールやアダマン号のひとびとや、沢山のひとたちがいますけれど、そのひとたちが作ったものをあの夜の形として受け取ることができたのは、東座の、支配人の彼女が日々重ねている仕事によるものだと感じました。

きっと、映画館で働くぼくにありがとうと声をかけてくれたひとは同じような気持ちだったのじゃないかな。

どんな仕事でも、やっていることのその先には、あるひとりのひとがいて、そのひとの助けになっているものなのですね。

ひととひととは、離れているようでどうしようもなく繋がっている。

そんなことを考えながら、広がる夜景を見ると、ひとりひとりの暮らしの灯火に心が揺さぶられ、家に帰ってもちっとも眠くなくて、眠くなってきても眠りたくなくて、なにをするでもなく、ただぼんやりと椅子に座っていました。

同じ映画をその日の午前中、妻も観ていました。

翌日、ぼくたちは映画について、感じたことや考えたことを話しました。限られた時間だから、話足りないけれど、それでも、ぼくたちは話したい話をすることができました。

ぼくをこんなにハッピーにしてくれたのは、だれ?ニコラ?アダマン号?フランス?東座の支配人?松本?妻?

そうだ、レイトショーへ出かけるぼくをちびちゃんが玄関で見送ってくれました。
パパ、じこしないでね。
うん、しないよ。いつも安全運転だからね。よく寝てね。
パパも、かえってきたら、よくねてね。
うん、ありがとう、いってきます。

世界の片隅で過ぎる、ほんのささやかないちにちのかけらをぼくたちは毎日ちょっとずつ集めています。


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