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はやく大人になりたかったんだね

フェリクス・ホフマン展が八ヶ岳のちいさな絵本美術館でやっています。
松本とは気候が違い、今が新緑といった感じでした。深く、空気を吸い込んで、気持ちよかった。
「七わのからす」を古書店でみつけてから、ホフマンの絵の世界に惹かれていました。
1冊1冊の絵本が、子どもや孫のために作られたものであることは知っていましたが、実際に、手作りされたものを見ると、受け取るものが違いますね。
ホフマンが持っている芸術的なエネルギーをいっぱいに丁寧に詰め込んだ仕事であることがわかります。言葉を変えると、愛情。

特に好きだったのは建物の絵。「おおかみと七ひきのこやぎ」のやぎの家、パン屋、「ねむりひめ」の
お城、石畳。ヨーロッパを感じさせる風景を見ていると、旅へ出たくなります。

各駅停車で西日本のいくつかをまわる旅をしたことがありました。点々と行きたい美術館を巡りながら、といって予定はないので、気に入った町には何日か滞在し、ゆっくりと歩き回りました。
大阪、広島、山口、鳥取、島根、岡山、最後は京都。

渋谷の映画館でアルバイトをしていたときの先輩が、東京から京都へ引っ越したばかりだったので、連絡を取り、会ったのでした。
お昼にハンバーグを食べて、喫茶店でコーヒーを飲み、鴨川沿いを歩き続けました。

ハンバーグはとても大きくて、彼女は全部食べられるだろうかと心配になりました。
「大丈夫、おなかすいてるから」
そういって、ぺろりと完食。
喫茶店でも、パンをふたつ食べました。
「ちゃんと食事したのひさしぶり」
「ぼくも」
どちらも、ひとりで食べていたのです。
ぼくはひとり旅、彼女は引っ越してきたばかりで知り合いもいなくて、ひとり。
だから、ふたりで食べたら、なんでもおいしくて、たのしくて、ほっとして、食べすぎて苦しくなって、歩いたのでした、延々と。

「いいなー旅したいなー」
彼女が言いました。
「旅好きだよね、いろんなところ行ってるでしょ。どこ行きたいの?」
すると、まだ行ったことがなくて行きたいところについて、話し始めました。
「じゃあ、これまで行ったなかではどこがよかった?」
すると、よかった国の、よかったところをたくさん教えてくれました。
旅の話を聞くのが好きです。
多くの人がとても嬉しそうに、まるで夢を語るように、話してくれるから。

「いつから、旅が好きなの?」
「子どものときから。でも、子どものときは旅行できなかった。うちは母子家庭だから、母親は仕事で行けないし、おばあちゃんに育てられたからね。だから、旅行の計画だけ、いろんな計画をつくるのが好きだったの」
「行かないけど」
「そう、行けないけど。考えることはできるから、電車の時間調べたり」
「本当に行くみたいだね」
「本当に行くつもりで考えないと、おもしろくないんだよ」
「計画完成したらどうするの?」
「おしまい」
「行かないもんね」
「また次のやつ考える」
「それで行けるようになったんだね」
「そうだよ、だから、あたし、はやく大人になりたかった」

いつの間にか日が暮れて、さよならすることになりました。
「京都、いいね。住みたいな」
言うと、彼女は言いました。
「東京のほうがいいよ」
「だってさ、街もあるし、すぐ山もあっていいよね」
「わたし、山見えるの好きじゃないんだ。都会がいいんだよね」
「なんで引っ越したの?」
「なんでだろう」

先輩と会ったのは夏でした。
そして、その年の冬、ぼくたちは中目黒で再会し、食事をしました。
東京が好きな先輩は、再び東京へ引っ越してきたのでした。

彼女はその後、東京を離れることはなく、いまではふたりの男の子の母親です。
久しぶりに会って食事をしたら楽しいだろうな。
話すこと、たくさんあるよ。


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