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欲しいけれど

1年でいちばん賑わうクラフトフェアが終わり、6月の松本は静かな日が続いています。
お店の梅の木を剪定した際、たくさん梅が採れたのでいただきました。
梅仕事ですね。
庭ではミニトマトが赤くなってきて、パプリカが膨らみ、あちこちから紫蘇が芽を出しています。
毎日、仕事から帰り、ひとまわり庭を見るのが楽しみ。
庭って、なかなか代わりのない空間です。
大きな自然とは別の、安心をくれる特別な場所。

鈴木るみこさんという方の文章がすきです。
ぼくがよく読んだのは、クウネルという雑誌の特集記事。いろんなところを訪ね、取材したものです。
取材の対象に近づきつつ、ふっと離れたクールな視点もあり、そしてぴたっと焦点を合わせて締める文章は、読めばそのひとが書いたとすぐにわかるもの。
亡くなってどれくらいの月日が過ぎたのかはわかりませんが、時々、当時のクウネルを開き、鈴木るみこさんの文章を読んでいます。

月に1度の読書会を幼稚園のおかあさんたちと5月からはじめて、先日第2回がありました。
参加してくれるひとたちは皆さん楽しみにしてくれていて、充実した対話の時間でした。
2時間30分があっという間に終わります。
1冊の本を共通のテーマとして、それを起点にいろいろな経験や思いが語られ、それに対して、質問や別の視点からのエピソードが加わり、参加者それぞれのひとへの理解だけでなく、自分自身を深く見つめられるということが、喜びを生むのです。
こういう時間が欲しかった、そうみんなが思える場をみんなで創り上げられていることがうれしい。

鈴木るみこさんがイギリスの庭について書いた、クウネルの記事をもとに、作られた1冊の本があります。
その記事は何度も読んでいるし、雑誌の誌面で写真も見ていたけれど、本を手に取ってみると全然違ったもので、欲しいなあと思いました。
松本市美術館のミュージアムショップで手にしたのです。

このところ体調を崩して、ぐったりとした気持ちになっていたとき、ふと思いつき、美術館のミュージアムショップへ行きました。
病院で検査を受けた帰りに、あの本をもう一度見たくて。
病院用のお金で買っちゃおうと思っていました。その考えは、とても良いものに思えたのです。
すごくいい、元気になれるだろうなって。
行ってみると、棚にはありませんでした。
お店のどこを見ても、ありません。
美術館からの帰り道、その本のページを思い出しながら歩きました。

東京で暮らしていた頃のこと。
そのときも、体調が良くなくて、気持ちが沈んでいたのです。
「青梅雨」という小説をどうしても読みたくて、図書館ではなく古書を手にしたくて、部屋でそのことばかりを考えていました。
電車に乗って出かけるのはきついけれど、このままこうして部屋にいるのもやりきれないと思い、表参道まで行ったのでした。
雨が降っていました。
あるかどうかもわからないのに、あるとすればそこだと思って、まっすぐ、青山のzucca、その2階にあったカウブックスへ。
見つけた時の感覚は今でも鮮明に思い出すことができます。
これでぼくは大丈夫、という大きななにかに守られた気持ち。

子どもの頃、具合が悪くて幾日か学校を休んだときも、本を買ってもらいました。
布団の中、いっしょに寝て、目が覚めたら続きを読みます。

いつも本との関係に救われて来たのですね。

美術館には鈴木るみこさんの本がなくて、だから今でもぼくの手元にはないけれど、ふと思い出しては、欲しいなあと思っている時間は、悪くないです。

もちろん、いつでも傍にあるっていいけど、悪くないね、こうやって想っているっていう日々も。


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