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夏目漱石「三四郎」 庭づくりへのオマージュ


今回の庭づくりの現場は東京の下町「谷中」、夏目漱石の小説「三四郎」に描かれている唐辛子栽培の農家だったと言われているお宅でした。

主人公「三四郎」のモデルと言われている小宮豊隆は同郷の学校の大先輩であり、しかも小説の中で、三四郎の出身地が京都郡真崎村となっています。私の出身も同じ福岡県京都郡で名前が「まさき」であることから以前から何か関係があるのではないかと思い、縁を感じていました。
そんなことから、改めて小説を読み返してイメージを膨らませて庭づくりを始めることにしました。

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明治時代の東京は目まぐるしい変革の中に有りましたが、そんな中で東京の下町の谷中は新旧の入り混じる場所として描かれています。
漱石も千駄木、谷中の周辺が好きで、よく散歩していた様です。
小説の中の三四郎と美禰子が団子坂の菊人形見物の雑踏を抜け出して二人で腰掛けた小川の土手がまさに今回の御宅の近くの場所だったと想像出来ます。
九州の片田舎から上京して、当時の東京の近代都市生活と先進的思想を口にする女性に翻弄される三四郎。ぬかるみの置き石に美彌子がバランスを崩してよろけた瞬間に互いの想いがすれ違い、恋心が谷中の景色の中に淡く消えて行く。いつしか自分の青年時代とイメージを重ねていました。

庭づくりの現場には明治、大正、昭和の東京の下町の生活の様子を想像させる物が沢山残されていました。
大きな陶製の井戸土管、沢山の盆栽鉢、立派な中国産の睡蓮鉢に、実際に使われていたであろう石臼、敷石、各種の庭石や灯籠など。更にサルスベリ、カリン、カキ、ミカン、モミジなどの植木は大きく育ち、8メートル近くの高さになって残されていました。

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施主の希望で、住宅は躯体を新しくしても、古い建具を再利用して欲しいという計画でした。
当然、庭も現地にある素材だけを使って再構成して新しく庭をつくり上げることにしました。
漱石の時代から100年以上が過ぎ、受け継がれて来た家族の想いを庭に痕跡として残し、現在の施主が心穏やかに過ごせる場所になる事を願いました。

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私は完成した庭に一人佇み、古い敷石の上に足を乗せた瞬間、明治時代の空気に自分が包まれて三四郎と同じ風景を見ている様な錯覚にとらわれました。 
庭を「想石庭」と名付ける事にしました。


正木覚(まさき さとる)
エービーデザイン株式会社
HP: http://ab-design.jp/
Blog: http://masaki-ab-design.blogspot.com/


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