見出し画像

レンズを選ぶということと、AF時代の弊害

レンズ選択は映像表現に直結した大きな要素である

年代を超えて数多のレンズが購入できる昨今、簡単きれいに撮影することができることの対極に映像表現としてのレンズ選択がある、と思っている

人々がオールドレンズを引っ張り出して使ったり、予算のない中なんとかシネレンズをレンタルしてくるのには、完成した作品に撮影者の意図が大きく反映されるからである。

オールドレンズや写ルンですが流行った背景には、何も考えなくてもきれいに取れてしまうコンデジやiphoneが増えていくなかで、
扱いが難しいが、なんとも言えない”エモ”という言葉で表現されるガラスの空気感、表現力がインスタグラムなどのおしゃれSNSにマッチした結果だと思っている

多く使われているZeiss Flektogonや代名詞とも言われるHelios44-2やSuper takumarはフルサイズ35mm一眼時代の表現をそのままに、
明るい解放F値や現行ではわざとレトロに寄せないと現れない偶発的なゴーストやフレアが、ミラーレスカメラの短いフランジバックのおかげで日の目を見た。

僕たちがPLマウントのZeiss fastに始まり、Ultra primeやCooke S4、Panavision primoなどの年代や表現力、シャープネスやボケ味、空気感などと言われる表現力で、作品を撮るときに一番最初に考える
「どのレンズでこの作品を撮るべきか」ということを、個人ユーザーでも簡単に行える様になった。おそらくインスタグラファー?やフォトグラファーは、撮影に行く前に同じことを考えて写真を撮っていることだろう


選択の幅がかなり増えたということで嬉しい反面、困ったこともある

現行のレンズはCanonしかりSonyしかりSigmaしかり開放からキレキレで、かつ各社ともにAFの追従性やモーター制御といった部分に力を入れ、完全に工業製品、機械と化している。

その弊害で

AFに特化した結果フルタイムマニュアルフォーカスレンズが存在しないことだ。

Canon EFの大三元やプライムレンズを最後に、今のSonyやFuji、Sigma tamronともに全てのレンズのフォーカスユニットに高品質なモーターが入っていて、映像表現で大事なファクターである
”フォーカスをコントロールする”
ということが出来ない。というか難しい

物によってはフィーリングをマニュアルに”寄せている”ものもあるが、初期のSonyレンズとかはA 点からB点までフォーカスを動かす場合、リングを動かすスピードや動き幅にモーターが左右されて、指だけの感覚で同じ場所に送ることは不可能だと思っている

どんだけAFがすぐれても結局はフォーカスプラーという職業が存在する理由は作品の意図や感情でフォーカスをコントロールという表現につながるので常に被写体の目に合わせ続ければいいというわけでは無い。

Sonyの方やFujiの方とお会いした時に、完全にモーターを切ってフルタイムマニュアルとしてコントロールすることが出来ないのかと聞いたが、やはりAFとの併用があるため難しいらしい。

AFのないCanon CN-Eとかはシネという枠組みでマニュアルフォーカス前提の作りをしている。

Fujiさんが唯一こういうものを発売してくれるかなと思っていたが、厳しそうだ。


ただコントロールできないというだけで、逆に常に合わせる能力に特化しており、記録やインタビュー、などの”合わせること”が仕事の場合は最高で

現に85mm縦位置、人物が40ftぐらいからカメラに向かって歩いてくる。といった撮影で試しにAFを使ってみたところ全く外さなくて驚いた。

これも一つの選択である


ということで僕の場合は、映像制作においては必ずフルタイムマニュアルフォーカスのできるレンズを選択している

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?