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私家版 三=神考

上(カミ)から語られる「神」が純粋に imaginary な存在であるならば、「太古の昔」とは、私という real を地伝いに遡る地平線のはるか彼方、それが imaginary と微かにむすぼれるその1点と言える。
おそらく、私が神/神話に強く惹かれるのは、それが(微かに)「私でもあり得た」「私の生き様でもあり得た」、その real-ity の琴線においてである。
万能、全知、権化……。それらの魅惑的なアイコンを、少なくとも《人》文科学の末端に立つ私の本能は、やんわりと拒絶する。

「太古の昔」:
A: 
或る者は――彼は狩人であっただろうか、漁りを事としたかもしれない――先祖と彼自身の命を賭けて『世界』を語る。
曰く:
彼の《狩猟》世界は、(我々の言う)「南-北」 と「東-西」の2元から成る。(我々の言う)地図を描く。彼は縦横無尽に走り、航海し、おそらく、地の『果て』を感知しただろう。
その身が見ることのない、しかしきっと在るはずの『果て』――彼の見たそれは、神の域、と呼ばれて構うまい。

B:また或る者は――稲を、麦を、様々の作物を植え、手入れし、刈る者だったであろうか――また、先祖と彼自身の命を賭けて『世界』を語る。
曰く:
彼の《農耕》世界は、日(カ-ヨミ)と月(ツキ-ヨミ)からなる。それは象徴的に、東と西を両端とする天体的半円に帰結する。
「月は東に日は西に」「月はのぼるし 日は沈む」、この繊細微妙な routine を過たず司る『何か』――それを彼が、神、と呼ぶことは、決して早計ではなかろう。

ひどくガサツに言い換える。

《ヨコ》の世界に生きる旧き者たちと、《タテ》の世界に生きる来たる者たち、彼らが争うことなく、言わば aufheben して共存するとき:

海(바다/パダ、わだ)つ神、地の width, Chaos を司るスサノヲ、旧き神である彼は、次第に天照らし月を読む、つまり天の height, Order を司るアマテラスツキヨミに並び立たれ、やがては彼らに従属することになるだろう。

だが一方で、「神話」的な史実において、民の血はスサノヲを通じて広がる。

この時、「神話」の翳にあるヒトの姿――稗田阿禮か、舎人親王であろうか――が見える。
彼は言う:
作物の豊穣には限りがあろう、まだ見ぬ土地の征服、従属、収奪には見果てぬ広がりがある、享受すべき限りない繁栄があるのだ、と。

(997字)

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