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スパゲティの思い出

ぼくが子供の頃は、スパゲティといえば予め茹で置きした麺にケチャップを絡めたナポリタンか、挽き肉ベースのソースを絡めたミートソースぐらいしかなかった。

1973年(昭和48年)千葉県市川市の本八幡駅からすぐのところにひっそりと、あるイタリアンレストランがオープンした。
今をときめくサイゼリヤの一号店である。
ネットで見つけた当時のメニューを見てみると、ナポリタンもミートソースもある。なんと180円と150円という安さ。それとハンバーグが200円。

ぼくは当時市川市に住んでいたので、もちろんこの一号店にも行ったことがる。が、当時のぼくは高校生。今でこそサイゼリヤは高校生の溜まり場みたいになっているが(これがぼくは結構嫌い)当時は高校生なんていなかった。
すごく敷居の高いお店な感じがして、高校生の分際で入るには勇気が必要だったのだ。

それから二年後の1975年、サイゼリヤの二号店が市川駅の南口側にオープンした。
ここは駅からはかなり遠いところにあって、徒歩で行くにはちょっと覚悟のいる距離だった。

二号店はたしか小さなビルの二階にあって、建物の外のらせん階段を登って店内に入ったような気がする。
店内は黒っぽい内装で、これまた子供が入るにはちょっと勇気がいる雰囲気だった。

その頃ぼくはもう19歳になっていたので、二年前の一号店に入るよりはちょっとだけ気軽に入ることが出来た。
当時のサイゼリヤのメニューで覚えているのは、なんと言ってもわかめサラダ。サイゼリヤと言えばわかめサラダというぐらいの人気商品だった。
このサラダにかかっているドレッシングが、なんとも言えず美味しかった。そう今でも定番のあのドレッシングである。

それとイタリアンレストランなのに、なぜか今でもあるハンバーグ。
当時はライスと味噌汁がセットになっていて、390円だった。イタリアンレストランなのに何故か味噌汁(笑)。
当時のサイゼリヤのメニューには「みそ汁は日本食のワインです」って書いてあったのを覚えている。

この二号店は夜中の3時とかぐらいまでやっていたので、ぼくは当時同居していた西本明とよく夜中に訪れたりしていた。
今ではもうメニューには無いが、スパゲティのシシリアンというのも美味しくて結構食べた記憶がある。

その頃、東京の渋谷にたらこのスパゲティというものを食べさせてくれる店があるという噂が、市川の田舎に住んでいたぼくの耳にも届いていた。
渋谷に行く用事のついでにぼくはその店に行ってみることにした。

お店の名前は「壁の穴」といった。ぼくが訪れた頃には渋谷に東急ハンズがオープンしていて、壁の穴はそのハンズの前にひっそりと佇んでいた。違ったかな?
そう言えばハンズの上階にも「ボルツ」というカレーとスパゲティが食べられるお店があったなぁ。

壁の穴にはぼくが食べたことのない不思議なスパゲティがたくさんあった。
たらこ、納豆、うに等の具材を使った独特のバター風味のスパゲティは、一度食べたら病みつきになる美味さだった。
たちまちぼくは壁の穴の虜になった。

今でこそ和風スパゲティは当たり前の食べ物になっているが、当時はすごく革新的な料理だったのだ。

時を同じくして、やはり渋谷の公園通りに和風スパゲティの店がもう一軒出来た。
洋麺屋五右衛門である(見出しの写真は、当時の五右衛門の店内で撮影したもの)。
ぼくはここの和風スパゲティも大好きになった。

注文すると、スパゲティが茹で上がる前に有田焼の器に入った和風のスープが出てくる。これがウマいのなんのって。
もちろん和風スパゲティもめちゃくちゃ美味しくて、五右衛門もあっという間に人気店となった。
当時、壁の穴と五右衛門は和風スパゲティの双璧だった。

ぼくは渋谷に行くと、丸井でデザイナーズブランドの服を月賦で買って(笑)パルコを横目で見て、ハンズでいろいろと物色して、文化屋雑貨店をひやかして、シスコやタワレコ等の輸入盤屋でレコードを漁り、シメに壁の穴か五右衛門で和風スパゲティを食べてから帰るというのが定番のコースだった。

もう今は渋谷に行くことも殆ど無くなってしまったけど、当時の渋谷は原宿と並んで最新の情報や、カウンターカルチャー発信の街だったのだ。
今の渋谷は未来都市みたいになって、もうぼくにはよく分からない街になってしまった。
光陰矢の如し。

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