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昭和音曲漫才考察

小学校5年あたりから
親に頼み込んで「松竹芸能タレント養成所」に通わせてもらっていた。
週1回、学校の勉強よりも友達と遊ぶことよりもこの時間がとても愛おしく有意義で
より自分らしい自分自身を形成できる唯一の居場所といっても過言ではなかった。
養成所時代のことはまたいずれ書き綴るとして、この養成所へ向かう前に必ずや立ち寄る場所があった。
それが父が出演していた旧角座なのだった。
学校終わって地下鉄に乗り難波へ向かう。
真っ先に角座の楽屋口へ!
気のいい頭取さんに通してもらい
「新喜楽座」の楽屋へ向かう。
喜楽座の楽屋は1番奥にあり、そこへ到達するまでは若手の漫才さん、ベテラン楽屋、落語の楽屋を通り過ぎる。
「ぼんぼん、ご機嫌さん!」
「おう!台本書いてきてくれたか?」
「あんたお菓子持っていき!」
愉快で優しい芸人さんに囲まれ
それはそれは至福の時間なのである。
父親の元で数分過ごして養成所へ
終わったらまた楽屋口から次は客席に向かう。1番後ろの席に座り、演芸鑑賞!

1番後ろの席ってのは拘りがあって
一つはタダ見させてもろてんだから
前で見たらいかんでしょ!といった
自分なりの気遣い…
も一つは
クソえらそうなことを言うが
特に若手漫才師の声が後方までちゃんと届いているかをジャッジするといった
趣味の悪い趣味のためである。

この人らのここウケるとこやで!を
知っているので
しっかりそこで笑いがきたら
鳥肌が立ったり
今日は若干、間が悪いなこの人らとか
子供なりに感じたり
ベテラン漫才師の小気味良いテンポに
酔いしれたり
普通の子供では味わえない
宝もんみたいな時間を過ごしていたわけ。

なかでも好きだったのが
いわゆる音曲漫才というやつだ。
かしまし娘、フラワーショー、ちゃっきり娘、横山ホットブラザーズ、宮川左近ショー、暁伸・ミスハワイなどなど
松竹にはかつて昭和を彩る素晴らしくクオリティの高い音曲漫才さんが沢山いた。
ライバルの吉本もいるにはいたが
自分が知る限り松竹レベルには到底到達していないと思えるほど個性豊かでハイレベルな演芸を魅せてくれていたと感じている。
まずネタもさることながら
演奏技術が極めて高く、また歌もめちゃくちゃ上手く、ちゃんとハモったりなど基本がとてもしっかりしていると同時に
15分のバラエティショーとして
完全に成り立っているわけである。

要するに「おたまじゃくし」を
しっかり理解しているプロなのだ。
子供だからネタの内容まではイマイチわからないにせよ、お馴染みのテーマソングが流れるだけで心が躍ったものだったな。
三味やギター、鼓の音、お客様の手拍子と
小屋に吊るされた寄席提灯…
舞台の匂い、売店のおでんの香り…

ノスタルジーとはいうものの
ノスタルジーに頼るしか拠り所のない
現代はいかなるものかと思っちゃうね。

別に今の世に音曲漫才を求めないし
求めたとて、時代が違うなど云々言われるのがオチ。
そんなことよりあのクオリティで
とにかくお客様を満足させよう!
15分の完成形をお見せしようなんて
意気込みは真似できないのではないかなぁ。

形変われどしゃべくり漫才は現代でもある、落語も数は減れどある、ジャグリングもマジックもあるにはある…
音曲漫才ないよなぁ…
世界遺産やなほんまに。

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