坂本龍一さん

どうもこちらはしばらく更新していなかったのでお久しぶりになってしまいました。

今日はどうしても書いておきたいショッキングな出来事があったので更新してみようと思います。

音楽を始めてから、具体的に言うと自分がプロを目指すと決めてから影響受けたアーティストが僕にもいるのですが。

先日、亡くなられた坂本龍一さんも僕にとってその中の1人だったりします。いや、その影響は計り知れないかもしれません。

遡ることうん十年前。東京に上京し、まだプロを目指してロックバンドをやっていたりいなかったりの時期があるのですが、聴く音楽は雑多でロックを中心にしつつも色んな音楽に興味を持っている時期がありました。

当時、ヒーリングミュージックが流行っていて、坂本龍一さんのBTTBと言うアルバムが爆発的に売れたこともあり、友達からそのアルバムを借りて聴いたところ、教授に興味が湧いてしまい、他のアルバムも漁ったのでした。

そこで「Beauty」と言うアルバムに出会ったのです。Beautyは坂本龍一さんのソロアルバムで、その中に沖縄音楽を取り入れた曲が何曲かあり、当時、世界の民族音楽に興味を持っていた自分には非常に興味深いアルバムでした。

その中には当然、沖縄の三線もありなんとなく沖縄の三線やってみたいと思ったのと沖縄に興味を持ったことがきっかけでその後、半年ほど沖縄へ旅に出ました。

沖縄でいろんな人と出会う中で、自分のアイデンティティや、ルーツなども見直すきっかけになり、そこから自分は津軽三味線の沼にハマって行くわけなのですが、あのBeautyと言うアルバムからすべてが始まっている気が、今になってしています。

坂本龍一さんはYMOはもちろん、みなさんご存知の戦メリを筆頭にラストエンペラーなど、映画音楽やアンビエント音楽、民族音楽などに興味を持つきっかけになりました。

映画音楽のサントラに興味を持ったのも教授からだった。サントラを聴くためにその映画を観たりとかそれまで無かったですからね。

そこから教授がおすすめしていた映画はなんでも観ました。ゴダールの映画とか全く意味わかんなかったけど。これがアートか!なんて言ってわかったフリしてましたね。

歌もので言うと坂本龍一さんの娘さんの坂本美雨さんの1stフルアルバム「Dawn pink」をプロデュースしててこれはもう名盤中の名盤。当時、相当ヘビロテしましたね。中谷美紀さんのソロアルバムもプロデュースしててこっちの世界観も好きでした。

それから教授関連の本もたくさん読んだなあ。いろんな方との対談集みたいなのがあって、その中で見た教授独特の音楽的な思想感などは割と多感な時期に出会ったので少なからず影響は受けていると思っています。

そうそう、一度六本木のトークイベントにも行ったことがあったな。生坂本を近距離で見たことも。

こんなことを言うと不謹慎かも知れませんが、天国で高橋幸宏さんと、忌野清志郎さんやデビットボウイと一緒にバンドや音楽をやっていて欲しいなと勝手に妄想してしまいます。

割と根っからのアーティストと言うイメージなんですが、商業性の強いポップな面と、アート色の強い自分の音楽とを若い頃は使い分けてて、

晩年はアートの方へ行っていたイメージがありますが、僕はそう言う二面性を持っていたこともいまだに教授が愛される理由なんだと思います。

ごっつええ感じとかも出てましたしね。芸者ガールズとかも最高でしたね。知ってる人は知ってると思うけど。お笑いの感性もセンスもあった。世界の坂本と言われても気取らない、そう言うところも好きでした。

最後は闘病生活が続いていたようですが、直前まで創作していたようで本当に最後の最後まで坂本龍一さんは坂本龍一さんだったんだなと思います。

素晴らしい作品の数々をありがとうございました。微力ながら演奏で繋いでいけたらと思います。

ご冥福をお祈りします。

合掌。

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