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ドリームランド

夏休みの本番、8月に入ったばかりの熱い金曜日だった。その日は校庭でのキャンプ。4年生は初めてのお泊まり、そしてクライマックスは保護者と先生の作る本物の校舎を使っての肝試しだった。
しかしミサキは、胸が弾けそうにときめくのが怖かった。こんな完璧な日が壊れてしまわないか、心配で仕方なかった。
昼間、プールではしゃいだ一同は、日が落ちる前に飯盒(はんごう)でご飯を炊き、大人たちに混じってカレーを作り、よく焼けた肌が闇に紛れるまでテントの外を走り回った。

夕食が終わると、急に夜がくる気配がした。知らない夜。まだここにいるだれも知らない、学校の夜。理科室の人体模型や音楽室の肖像画たちのざわめき。月光を跳ね返す黒板の冷たさ。数えてはいけない階段の数。すべてに今から触れて、恐怖し、慄くのだ。なんて素晴らしい夜。なまぬるい風が胸の奥まで入り込んで、小さなミサキのすべての欲望を満たした。
肝試しでは、ミサキのグループは最後だった。先に行った者の中には半泣きで戻ってくる者もちらほらいたし、なにより、校舎中に響き渡る子供達の悲鳴は、否応なく期待を高まらせた。この夜が終わりませんように。
そしていよいよミサキたちが出発した。女の子4人、手を繋いだり、抱きついたりで大騒ぎだ。ミサキは、仕掛けられた偽物のヘビや、シーツを被ったお化けなんて平気だった。大声で笑いながらチェックポイントを通過し、時折り現れては写真を撮っていく先生を追い払い、最後の渡り廊下に差し掛かった。そのとき、ミサキの目の前に、突如巨大な影が降ってきた。他の3人は悲鳴をあげながらゴールまで走り抜けたようだ。

ミサキは、目の前で揺れているその影をじっと見つめた。それは、いつもベッドで一緒に眠っている、大きなくまのぬいぐるみだった。そのぬいぐるみには、名前があった。くまのミリーだ。
可哀想なミリーは渡り廊下の屋根から何度も首を吊るされて、破れた首元から綿がはみ出ていた。
ミサキは「ほらね」と自分に言った。悪いことが起きない日はないんだから。父はわたしの大事なものなんか、何一つ知らない。こういうとき、大声で泣ける子どもになりたかった。お父さんなんか大嫌いって地団駄踏んでみたかった。
何か大事なものが自分に欠けていることに気づいてはいるのだが、ミサキはそれを長所として差し出すことで折り合いをつけてきた。
キャンプが終われば明日から家族でドリームランドの予定だ。
ミサキが黙ってさえいれば。
何度も何度も心の奥に落とした涙は、だれが掬ってくれるの。
見上げれば、月がおぼろげに雲に隠れるところだった。ミサキの涙は限界を超えて降り注ぎ、ドリームランドも満たすのかもしれませんね。

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