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月の妹たち 第十四章 ~記憶~

老婆が目覚めたのは、開け放たれた窓から何かのエンジン音が次第に近づき、眠りの帷を破るほど大きく迫ってきたからだ。
ゆっくり瞬きをして、そこが七十年前の姉の布団の中ではないことを確かめる。
夢を見ていた。
母の泣き声が聞こえないように、八歳だった双子の姉が小さな両手で耳を塞いでくれていた。ただ温かさに包まれて薄目を開けると、月の光が一筋、障子の隙間から射していた。
月、か。
なにか大事なことを忘れたままのような、それでいて、永遠なるものを手に入れたような、不思議な感覚に襲われる。
それにしても、庭から聞こえるエンジン音は、だれの仕業かしら。
ようやくベッドから抜け出すと、寝巻きから普段着に着替えて、顔を洗いに洗面台へ向かう。と、廊下の途中で玄関の開く音がした。
続いて幼い女の子の笑いさざめく声がする。
こんな一人暮らしの老婆を訪ねてくるのはどこの子だろう。
老婆は知らず知らず心が弾むのを感じる。何年ぶりかしら。こんなに気持ちのいい朝は。
「どうぞ。」
声をかけながら、玄関に出てみると、頭に花冠を載せた姉妹が、四つの大きな瞳でこちらを見ていた。
背中に隠した手に、なにかを持っている。
「おばあさん、花冠はいりませんか?」
二人は細い枝のような腕を精いっぱい伸ばすと、花冠の束を両手にぶら下げて老婆の目の前に差し出した。
あら、この子たち、どこかで会ったことあったかしら。こんなに可愛い花冠屋さんには、とびきりのご褒美をあげなくちゃね。
老婆は仏壇からお札(さつ)を取り出してくると、花冠を受け取って、年長の少女に握らせた。
このお金、大事に使うのよ。
姉妹は顔を見合わせると、抱き合って喜んだ。
わたしたち、お城を作るんです。
お城を作るの、いいわね。
子どもの言葉を反芻していると、ふと、老婆はなにかを思い出して声をもらした。それだわ。
さっき忘れていると思ったのは、遠い昔に姉とした約束だった。一筋の月光を見つめながら、姉と誓ったんだ。ふたりきりのお城に住むんだって。
そっか、この子たちもなのね。
老婆は、複雑な笑みを浮かべてはしゃぐ姉妹を眺めやった。
そうする間にも、エンジン音はまた一段と威力を増して、老婆の家の周りを行ったり来たりしている。
女の子たちが、花輪のれんげをポツポツと落としながらスキップして玄関から飛び出していくのに続いて、老婆もいそいそと庭に出てみる。
どうやら、女性が草刈りをしているみたいだ。
「ねえ、あなた、うちの草刈りしてくれてるの?」
大声で話しかけても、大きなエンジン音にかき消されてしまう。だからといって迂闊に近づけないのが、草刈機の厄介なところだ。
仕方なく老婆は、手に持っていた花輪から花を一輪、草刈機の刃の先へ放ってみせた。
すると、鳴り響いていたエンジン音が弱まって止まり、ピンク色の作業服に、赤いエプロン、緑の長靴をはいたその人物は、パッと帽子をぬぐと同時に顔を覆ったタオルを外した。
露わになった女の顔は、紛れもなく亡くなった当時の姉だった。
お邪魔するわよ。
女は草刈機を下ろすと、つかつかと老婆のそばを通り過ぎ、暑くてやってらんないわね、とぶつくさ言いつつ、家に上がり込んで行った。
「あなた、姉さんなの?」
「それよりレモネード作ってよ。」
「レモネードってなあに?」
「年寄りはなにも知らないのね。」
軽口が飛び交う中、大きな一軒家の下では、楽しい午後が始まろうとしていた。

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