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月の妹たち 第六章 ~挑戦~

はじめは、もちろん恐る恐るだった。だって、自分を試すのだから。
老婆は回想する。
自分にも、まだその力があるだろうかと、気にはなっていたのだ。
息子が帰省するたびに、習慣化している庭周りの草刈り。毎度毎度、お願いするのは気が引けた。
だからって、今更、自分でやると言い出すには自信がない。運転免許を返納してからここ数年、出来ないことが、毎年増えていく。
長い一人暮らしに慣れてしまえば、家の中での失敗はご愛敬。またやっちゃったわ、で済ませることができた。
だけど、他人に見られているところで失敗するのはなぜか許せないほど怖かった。だから、魔が差したのだ。
月の魔力が働く時間なら、誰の目にも止まらないし、失敗したって、気にするべきは月の冷ややかなきらめきだけ。
だから、無謀にも思い切って担いだのだ。放置された背負い式草刈り機を担いだ。
それは、長年愛用したリュックサックのように老婆の身体にぴったりと合致して、懐かしいハンドルを握ると、突き出したメインパイプの先にある残酷な形をした丸い草刈刃が
「おまえ以外、ぜんぶ世界中の敵だぜ」
って、威勢のいい彼氏みたいに周囲を威嚇してくれている。
これ、すごくよく効くお守りみたい。
これなら、不審者が通りかかったって、幽霊が冷たい手足で這ってきたって、少しも怖くないと思った。
月夜の晩に草刈り婆(ばばあ)。最強かもしれない。
老婆曰く、誰かに危害を加えようとか、人様に迷惑をかけようとか全くなくて、まさか、エンジン音なんか立てやしない。
ゆっくり、草刈りの動作を模倣してみたかっただけなのだ。昔みたいに。
そう、まだ自分に力があったと信じられていた時みたいに。
月光を浴びてエメラルド色に染まる足元の緑、宝石の山のようなクローバーの茂みを、軽く草刈刃でなでてみる。意外と簡単そうだ。
そうして道なりに茂るペンペン草や自生するナガミヒナゲシを草刈り機を抱えて追ってみると、案外、多種多様な、でも幼い頃に慣れ親しんだ草花が、思い出と共に老婆を少女時代へと誘う。
あの頃、人様の家の陰で、生け垣の椿の葉っぱを丸めて笛を作るのが流行ったっけ。
目に映るものすべてを完全に所有していたあの頃、禁忌も畏怖もすべて本能で見分けていた。当時あった、「おだいしさま」と呼ばれる神聖な岩。言い伝えでは、蘇りの岩とも言われている。
腰を痛めてからここ数年、庭を廻る散歩コースしか、歩いていないけれど、ここまで来たついでに、ちょっと見に行ってみようかしら。
軽い気持ちで足を向けたものの、そういえば、最後に姉と別れたのも、あの岩のある小高い丘だったことを思い出す。

今夜はちょうど満月。そして、日付が変わって姉の命日。
もしかして、姉さん、あの岩の上で、待っててくれたりしないかしらね。

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