THIS IS WATER
御守りのような感じでいつも近くに置いている本がある。
デヴィット・フォスター・ウォレスの「これは水です」という本で、
文庫本より小さいサイズで、30分で読めてしまうものだ。
普段本を読まない人も、是非手に取って読んでみてほしい。
この本は、本というより、詩に近い。いや、エッセイと言うべきか。
ポストモダン作家として名を馳せたウォレスが、ケニオン・カレッジの卒業式に招かれ、卒業生に向けたスピーチの内容が和訳されたものだ。
一般的に卒業式では、希望の言葉を選ぶスピーカーが多い。
「君たちのこれからは希望に満ちている」的な感じで。
しかし、ウォレスの言葉から希望は感じられない。
これから社会に出て働くであろう人達への、生きることの辛さ、大変さ、切り抜け方など、リアルを伝えてくれている。
しかし、ウォレスの言葉は温湿布のように後からじわじわと効いてくる。
疲れている時、心がすさんだ時、途方もない空虚感に苛まれた時、
自分が負の感情の時ほど、彼の言葉に勇気づけられる自分がいる。
スピーチは魚の比喩から始まる。
ここまで聞くと、当たり前の事を大事にしよう的な解釈をするのが
一般的なのかもしれない。
しかし、僕はそうは思えない。
そんな簡単な解釈でこの本を片付けることは失礼な気がしてしまうのだ。
そう、この本はジョブズの「stay foolish、stay hungry」のようなキラーフレーズが無いのだ。
ではウォレスが言ういちばん大切な現実とは何なのか。
ちょっと分かりづらい。自分が世界の中心?いやいやそんなことないよという声が
聞こえてきそうだ。しかしウォレスはその理由をこうまとめている。
どうだろうか?
結局地球上で常にリアルタイムで確認できるのは自分だけなので、
手触りで確かめられる自分が世界の中心になっているのは、必然だなと。
しかし、ウォレスはこのデフォルトの状態を理解し、どうにかして変えるもしくは削除する必要があると言っている。
そのために必要なことは「考える容量をただ増やすことではなく、むしろなにを考えるべきかを選ぶことにある」ことであり、意識して、心を研ぎ澄まし、何に目を向けるかを選び、経験からどう意味を汲み取るかを選ぶという意味です。
と語る。
でもまだ??って感じだと思う。
そしてこう続く。
働いている人であれば、お分かりではないでしょうか?
僕の例をお伝えします。ビールメーカーの営業をやっていた時、毎日担当の酒販店に行き、セールスさんと商談を重ね、オフィスに戻り、事務処理をすませ、夕方から毎晩酒を飲みながら飲食店へ営業に行き、週末は平日の疲れでほとんど寝て終わるというルーティーンの繰り返し。
当然疲れている、上司や先輩にはしこたま怒られる、営業成績だっていつもうまくいくわけじゃない、納期に追われる、クレーム対応もつきもの。
そんな生活を繰り返していると、
例えば電車で携帯で大声で喋っている人や、改札で誰かがSUICAのチャージしてなくてまごついていたり、コンビニでお年寄りが現金を出すのに時間が掛かり行列が出来ていたり、渋滞で車が混んでいたり。ささいなことでイライラしてしまう。
ふとした時に「俺何やってんだろ」って思う瞬間が数えきれないほどあった。
大小あれど、働いている人は共感できると思う。
ウォレスは、自分が世界の中心にあるという初期設定を削除しないと、永遠に退屈と苛立ちは続くと主張する。
そして、それは日に日に増大していき、
やがてそれが病気や自殺の引き金になると。
例えば、電車の中で大声で喋る家族がいたとする。疲労困憊の僕はそのことにイライラしている。しかし、こうだったらどうだろうか。
先ほど家族が亡くなったばかりで、空元気で大声で喋っていたとしたら?
また、コンビニで現金がうまく支払えない老人は、手が震える病気を患っていて、
うまく小銭が掴めなくて遅くなっていたとしたら?
大事なのは初期設定を削除し、想像力を働かせ、自分以外の何を考えるかに依るって事を。
そして何を信じるかという事を。
だからこそ、常に学び、常に気づき、常に肌で感じ、自分をメタ認知する必要があるんだと思う。色んな角度から自分を見て、新しい自分を獲得していく。
そのためのリベラルアーツ。自分を自由にする学びをいかにできるか。
ざっくりウォレスはこんな事をスピーチで語っている。
そしてウォレスが人生で唯一引き受けたこのスピーチの3年後、元来躁うつ病を患っていたウォレスは自ら命を絶つ。46歳だったらしい。
このスピーチは、スピーチというよりウォレスの遺言なのかもしれない。
躁うつ病と闘いながら、普段語られない人間のリアルを必死に伝えようとしていたんだと思う。
だからこそ、どうしようもなくネガティブなリアルの中に、かすかな希望を感じるんだと思う。
僕もひねくれている性格なので、若い時は希望に満ち溢れているという言葉が胡散臭くて信じられなかった。だからこそ、ウォレスの言葉がストンと腹落ちしたんだと思うし、今でも一番勇気付けられる本である。
最後に僕が一番ハイライトだと思う内容で締めくくりたい。
アドラーでいうところの、共同体感覚というべきか。
見返りを求めず、相手に尽くすということ。それを積み重ねていくことで、
初期設定は削除され、退屈な日常がクリアになっていくということなのかも。
うーん。まだまだ僕には難しい。でも一つ思うことは、他人の評価やカネや名声に踊らされる人生だけはまっぴらごめんだし、直感を頼りに
行動することも忘れることなく、人生を謳歌していきたいと思う今日この頃である。
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