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冒険のための安全基地

生き残れた理由は、「虚構」を信じることが出来たから

名著「サピエンス全史」にはこう書いてある。
我々ホモ・サピエンスは他の種族よりも、決して頭が良かったわけでもなく、決して強かったわけでもなかったらしい。

ではなぜ生き残り、そして今地球上を支配しているのだろうか?
それは「虚構」を信じることが出来たからと言われている。
虚構とは「実際にはない、作り上げたこと。フィクションのこと」のことである。

例えば大きな山の麓に住んでいる集落があったとする。
ある人がこう言う。
「この山にはとても崇高な神様が住んでいる。この山の麓に住んでいる私達はその神様に守られているので、どんな敵を相手にしてもその神様が守ってくださる」

この話を聞いて我々ホモ・サピエンスは、その話を信じることが出来る。
信じることが出来たので、その集落は一つになることが出来る。
一つになることが出来るので、他の種族との戦いにも勝つことが出来る。

つまり目に見えないものであったとしても、想像力を働かせ、その事を心から信じることが出来る力。これが他の種族よりも秀でていたので、生き残ることが出来た。

そう。我々はそもそも、虚構を信じることが出来る以前に、コミュニケーションを取ることが出来たのもとても大きい。


警戒心⇒安心感に変わるために
最近弟に紹介してもらった本にこう書いてあった。

チーターやヒョウが駿足を、亀は硬い甲羅を、ハリネズミは鋭い針を手に入れて現代でも生存を可能にさせているように、私達は言語力を頼りに生存を可能にさせてきたわけである。

だからこそ、私達が一番生存を脅かされるのは、コミュニケーションが取れない時、つまり「孤立」する時なのである。
私達は、常に心のどこかで、もし、ひとりぼっちになったら、それから先、生きてしまうのが難しくなってしまう危機感を無意識のうちに抱いている。
コミュニケーションを可能にするために、孤立しないために、他人に嫌われないように、私達は警戒心を抱えながら生きているわけである。
サピエンスの強さはコミュニケーション力であり、そのトレードオフで、弱さというか意識しなくてはいけないことは、孤立を避けるために、警戒心を常に抱えながら生きていることである。

そして、この部分ががとても心に響く。

わたしたちは、関わりの中に生きています。
あなたがげんにいま生きているということは、関わりがあるということです。たとえ、あなたが仕返しや孤立によって、関わりを閉ざそうとしていたとしても。
犠牲者や被害者を演じようとしていたとしても。
 わたしたちに必要なのは、関わりを築くことではなくて、現にある関わりに気づくことです。関わりが損なわれる事を警戒することではなくて、関わりを実感することです。

築くのではなく、気づくという事。まずは他人起点ではなく、自分起点から。

そしてこう続く。
精神的に孤立している状態から、関わりを感じられる状態へ移行するコミュニケーションが必要である。

現代において、精神的に孤立している状態の人はとても多いのではないだろうか。
警戒心が続く精神状態は、とても辛い。
ビクビク怯えながら、他人の目を気にしながら生きることは、とても疲れるし、落ち着かない。
僕も若い時はそうだった。東京での社会人生活は、そんな毎日の連続だった。
でも、もしかしたら人生楽しいかもと思えたのは、仲間の存在だった。

がむしゃらに仕事をしていたら、ここで生きていていいんだと実感出来る仲間がどんどん増えた。
仲間が僕を見ていてくれて、共感してくれた。
共感してくれたから、僕も共感返しが出来た。
生きる事が辛く、毎日枕を濡らした日々も、あれほどため息をつきまくった憂鬱な日曜日の夕方も、無駄じゃなかったと思えた。

人との関わりのお陰で、僕は生き返る事が出来た実感が出来た。

そして、この本ではこうも続く。

自分が感じていること、本当に思っていること、相手の本音、相手の望んでいることに触れて共感が持てない限り、孤立から自由にならないでしょう。
共感がもたらされる時はじめて「孤立」から解放され、そこに「安心感」を体験します。

うーん。とても深い。
孤立状態から脱却するには、自ら相手の共感を得にいかないといけないということ。
自ら動いて共感するということ。
確かにこれは勇気がいる。自分をさらけ出す勇気がいる。
相手への共感もだが、自分自身への共感。
ダメな自分も、ついつい楽しちゃう自分も、ズルしてる自分も、全部自分の一部だと思う勇気。

警戒心が安心感に様変わりすると、人生の景色はとても美しくなるのかもしれない。
暗い洞窟の中で、先が見えない道を彷徨うのはとても辛い。
でも、洞窟の中を励まし合える仲間がいれば、きっとどんな洞窟でもいつか地上に出られるんだと思う。そしてどんな景色でも美しく見えるんだと思う。

大事なのは立派なアドバイスなんかじゃなくて、共感してあげるだけで良い。
人間は長く生きれば生きるほど、ラベリングして、白黒はっきりつけてしまいがちらしい。
こういう場合は〇〇だとか、こういう外見の人は◯◯だとか、そんなやつ。

僕は心底イヤなのである。ちょっと話しただけでその人の事を判断する奴が。

だからこそ、もっともっと共感できる人になりたいと心から思うのである。

「大丈夫だよ」とか「頑張って」とか言うのは簡単だけど、実は大事なのはそういう事じゃなくて、まずは理解して共感するということなんだと思う。

そして、安全基地のスペースを大きくしていきたい!
感謝を込めて。

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